手裏剣を「打つ」

手裏剣は「投げる」ではなく「打つ」と言います。
手裏剣を打つことを「打剣」とも表現します。
手裏剣術を始めたばかりの方は「手裏剣を投げる」とつい言ってしまい、師匠や先輩から「手裏剣は打つ」だよと注意される光景はよく見かけます。
この「打つ」、なぜ打つと言うのかを問うと「剣術を由来とした言葉だよ」という答えが返ってきて、なんとなく納得してしまうのです。
でも、剣術を由来としていて何故「打つ」なのでしょうか。
「刀で打つ」という表現は違和感があります。「刀で切る」であれば素直に納得できます。これがもし「刀で討つ」ならばなるほどと思えたでしょう。剣術のどこから「打つ」が来たのか少しの疑問があります。剣術で刀を投げるときはそのまま「投げる」と言います。飛刀術ということもあります。いずれにしろ、ストレートな表現として「投げる」を用います。
仮説として、手裏剣術が流行した江戸時代後期は平和な時代であり、剣術が鍛錬や嗜みとして発展し剣術道場が次々と確立し一大ブームとなった時代と重なります。そのころの剣術は木刀や竹刀が中心です。剣術を斬り合いの血生臭いものと捉えるのではなく剣道的な感覚で「打つ」と捉えれば言葉の違和感はなくなります。
しかし、そうすると今度はもう一つ別の違和感が生まれます。
剣道において「竹刀で打つ」「面を打つ」と言う場合、それが指すのは「打突」であり、やや叩くに近いイメージがあります。手裏剣術を稽古していて感じるのは決して叩きつけるような動作などはしていないということです。
刀ではなく剣(直刀に近いもの)で考えてみると、剣は「打つ」と言います。この場合の打つは「突く」の意味です。確かに手裏剣の感覚は剣で突くに近いものはあるかもしれません。
しかし剣術、剣道どちらから考えてもほんの少しの違和感が残るのです。
例えば手裏剣術そのものの由来を考えるとそこにあるのは印字打ちや打根です。印字打ちは石を投げること、打根は手で投擲する小型の矢のようなものです。これらは手裏剣術の由来となったものの一つであり、いずれも「打つ」と表現されます。手裏剣を打つという言葉はここから来たと考えた方が私にとっては自然です。
ただし、手裏剣術と剣術の結びつきは否定しがたいものがあるのもまた事実です。
投げるという動作はどうしても身体をひねり、うねらせます。さらに力を溜めてリリースさせる動作でもあります。剣術はひねり系の動作をせず、力を溜める動作もせずに身体の重さや重力などを効率よく使いスピードと力を出します。
手裏剣を打つとき、やはり身体をひねるような動作はあまり使いませんし、力を溜めて一気にリリースするようなこともしません。身体の重さや得物の重さを使い打ちます。その身体運用方法は剣術で刀を振る時のそれと共通する部分が数多くあります。だからこそ「手裏剣を打つ」という言葉は手裏剣術を稽古する人間の感覚にすんなりと受け入れられているのかもしれません。

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