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房付きの手裏剣

手裏剣の中には後ろ側(尾部)に房を取り付けたものがあることは取り上げ、手裏剣の尾部に房を取り付ける物理的な効果や意味についてはさまざまな検証もしてきた。
そこで別な側面からこの房を見てみよう。
物理的とは別な側面、つまり精神的、心理的な側面である。

房とは一言でいえば「魔除け」である。
これは面白いことに洋の東西を問わず世界中で同じ意味合いを持つ。
日本では「房飾り」西洋では「タッセル」または「フリンジ」と呼ばれているがどちらも魔除け、厄除けなどのラッキーチャームとして知られている。知られているどころか、糸だけでなく様々な素材を巻き込んで形作った房飾りはよく目を凝らせば様々な場面で日常生活に溶け込んでいる。タッセルはよく女性もののバッグやキーホルダー、イヤリングにアクセサリー、財布などにモチーフとして取り入れられているから目にする人は多いだろう。
メンズアイテムならローファー、生活に根付いたものならカーテンを束ねるところにも使われている。
タッセルはトウモロコシの象徴とされ、トウモロコシのヒゲは実と直結しているから房が多いものは実りを象徴しているとも言われる。
しかしそれだけではない。洋の東西を問わずと言ったが房飾りは日本においても至る所にあり古くから使われてきた。
甲冑、数珠(念珠)、掛け軸の風鎮に仏壇、そして座布団の隅にも房飾りは取り付けられている。神社のしめ縄も房飾りが付く。神社仏閣なら御簾という簾にも三色の房飾りが必ず付くし、鈴緒にも、幕や提灯、あらゆるところに房飾りは取り付けられている。
房は箒を連想させ、箒で埃を「払う」ことから転じて「祓う」となり魔除け、厄除けの象徴として使われてきたと言われている。
また、御簾や幕などは房飾りを取り付けることで内と外を分ける結界としての意味を持つことになる。簾や幕に神聖なものと俗なものを隔てさせる力を与えているのは紛れもなく房飾りである。
これは神社仏閣に限ったことではなく家庭においても同様である。
お正月のしめ縄飾りなども同様で、内と外を分けることで来客についてきた邪を払う。座布団も同様に、人につき入り込んだ邪を払うとされている。

神社仏閣で幕につけられる房飾り「揚巻房」や甲冑の房紐なども厄除けの意味がある。そしてこれらは房を飾るために結んで使われる。つまり「むすび」と密接な関係を持つ。
内と外を分ける結界としての意味、そして護符としての意味を持つ房は糸が寄り集まって作られる。撚って重なり交差させ、紐になって繋がり房となりまた捩り紐に戻る。
糸の繋がりが人の思いを繋げ結びつく。甲冑の護符などはまさにそのものだろう。

話を手裏剣に戻そう。
手裏剣にもこの房が取り付けられる。
物理的な意味合いで見れば飛行する手裏剣の操舵翼として取り付けられたのだろう。
しかし先ほどからの話の通り、房は東西を問わずに身近にある飾りとして日常的に取り付けられるモチーフである。
手裏剣を武器としたときに、戦場に赴く際に自らの武器を飾ろうという粋な気持ちを込めた可能性もきっとあるだろう。また、自らの魔除け、護符として持ったかもしれないし、この武器で奪う命へのせめてもの「はなむけの祈り」を込めたかもしれない。
話を作りすぎだとお思いだろうか?
では、事実を語るとしよう。
第二次世界大戦中、学徒出陣をすることとなった弟子に根岸流の宗家が「自分はもう戦場には立てないからこれを国の為に役立ててくれ」と言って送ったのが自身の最愛の手裏剣だという。
結果としてその弟子は手裏剣で相手の命を奪うことなく生きて戻ることとなった。その手裏剣は房が付いたものだった。
手裏剣は武器だというが手裏剣で命を奪ったという記録は少ない。その数少ない記録の一つが戦国時代などではなく近代の昭和14年である。
手裏剣で相手の命を奪ったという記録は私の知る限りではこれだけである。この時の手裏剣はおそらく房付きのものだと推測される。

手裏剣は奉納演武のように神事にも使われることがあるが、その際に使われるのも房が付いた手裏剣である。
細かい話をしてしまうと、これらの話の中ではすべて根岸流もしくは根岸流を学んだ人間が関わるのでこれらの話に出てくる房付き手裏剣のルーツはすべて同じと言えるかもしれない。しかし、その根岸流がいつからどんな流れで房を取り付けたのかはあいまいなところがある。だからこそ、生活様式や儀式など様々なこととの繋がりを考えると違った面が見えてくるものである。
手裏剣は一人で稽古出来る武道だと言われているが、実際に完全に一人で習得するのは難しい。出来なくはないかもしれないが、それには多くの歳月を必要とするだろう。だからこそ、一人ではなく仲間がいることは心強い。手裏剣術は難しいし、一筋縄ではいかない。この難しい武道が結んでくれた縁を大切に、一人で稽古をしている時も仲間やこれから出会える人たちを考えたい。自分の今取り組んでいる稽古がこの先、誰かの笑顔になるかもしれないのだから。

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