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手裏剣 修理剣

手裏剣には様々な別称がある。
手裡剣 手離剣 修利剣 投剣 打剣 撃剣 不殺剣 削闘剣 びょう隠 三不過剣 流星 花ち弁 撃ち針と呼ぶこともある。
「修理剣」というもの手裏剣の別称の一つだ。

この修理剣、そのままの意味なら「剣の理を修める」となる。
何度も述べているが手裏剣は剣の一種と捉えることが出来る。
手裏剣を飛ばすための身体操作や理合いは非常に難しく奥深いものがある。手裏剣を打剣するその時、精密な身体操作を求められたり、自らの心身と向き合わなければいけない場面もある。
手裏剣は投げるとは言わない。つまり手のひらにある手裏剣を投げずに刀を振り下すように打剣する。手は離さない、でも手から離れて飛んでいく。この矛盾と向き合うのはいつも不思議な感覚である。
刀を振るそれと似た身体操作だという人もいる。ひねらず、うねらず、タメを作らない。真っ直ぐ最短最速、その為の理合いを修めるのに手裏剣は最適な確認方法だと教えてくれて人がいた。身体と心の一致、それが「剣の理を修める」ことなのかもしれない。つまり「理を修めるための剣」と読み換えてもいいのだろう。

この修理剣だが、現代語でいいのなら別な読み方が出来るだろう。
「修理する剣」である。
ダジャレのように聞こえるかもしれないが、手裏剣というのは時に手のかかる存在である。
刀剣の世界ならば専門の職人が何人もいてそれぞれが作業を行う。しかし美術品でもある刀剣と違って手裏剣はそこまで高額なものではない。結果として使い手に求められることも多くなる。
修理、メンテナンスもその一つだ。刀を持っていれば当然手入れはするだろう。手裏剣も剣、同様なのである。しかも手裏剣は素手で剣体を扱い、投げられる。刺さらなければ地面に落ちるし、連続して打つこともあるから先に刺さった手裏剣に次の手裏剣がぶつかることもある。ある意味で過酷な環境で使用されるものである。汗が付着していて放置していれば錆が出る。手裏剣同士がぶつかれば傷がつく。手裏剣に糸などを巻いていればそこに手裏剣が刺さることもある。そうすると剣体の保護にはなるが最悪の場合、糸などはまき直しだ。
手裏剣同士がぶつかって細かい傷が入ったとする。手裏剣の打法の基本概念の一つに「滑走」というものがありい、手のひらや指を手裏剣が滑る動きのことを指す。細かい傷がバリのようになっていると滑る過程で手のひらや指が容易に裂かれる。
だからこそ打剣者は自分の手にある手裏剣のその状態を常に確認しておかなければいけない。
そして、小まめに修理をしたり手入れをする必要もあるのだ。
手入れが一切なく使える手裏剣などほとんどない。まさに修理がもとめられる剣、修理剣である。
実際にこの修理を自らが行うことで自分の手裏剣への愛着は確実に高まる。
修理をする中で太さや長さなどの微細な差に気が付き、飛び方のクセの違いを把握する。そして打剣をする際に身体が無意識にその手裏剣に合わせた調整をする。結果として手持ちのすべての手裏剣が同じように的に刺さる。
先ほど、手にした手裏剣を離さないが離れて飛ぶと述べた。
これを自らの指と例える人もいる。
強く振った己の指がちぎれて飛んでいくイメージを持つ。
つまりそのためには手裏剣を持つのではなくそれを含めて「己の指」と捉えなければいけない。己の指となるよう愛着を持つためには日ごろからの修理、メンテナンスは欠かせないものなのである。
そうして自らの身体の一部と呼べるようにこの道具にほれ込み使うことも必要なのである。
「手裏剣というものは大きな傷がつかない以上は使い込んだものの方が価値が上がっていくものです」とは尊敬する武術研究の先生の言葉である。

私自身、人に手裏剣を贈ることがあるが、それが壊れてしまったと連絡があると嬉しくなる。
手裏剣が壊れるのは一生懸命に稽古をした結果だからだ。
壊れた手裏剣がかわいそうとは思わない。その理屈で言えば、一見大事にしまわれたままいつまでも使われないほうがよほどかわいそうである。もしくは壊れてそのままでもいいと思えば連絡などしてこないだろう。
使ってくれた、そして壊れて尚使う意思があるその表れだと感じるから嬉しいのだ。
作り方を真似てもいい、どんな形でもいいから修理してくださいとこちらからお願いしたい。そのための方法はいくらでもお伝えする。
修理する剣、その中で自らの手裏剣に沢山触れて、その特性を理解する、そして、それに合わせて使う。その過程があってこそ道具を自らの一部のように使うことが出来ると考えている。それでこそ気剣体の一致させ「剣の理を修める」ことにもつながる第一歩だと常々思う。

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