棒手裏剣の研究 その2
棒手裏剣の基本的打法の一つ、直打法は的の到達するまでの間で90度手裏剣が倒れる。倒れなくても倒れすぎても手裏剣は刺さらない。ぐるんぐるんと回転した棒手裏剣が的に刺さるというイメージを持たれがちだがそうではない。距離が近くても遠くても許された回転は90度だけである。棒手裏剣というのは基本的に刺さるのは尖らせてある先端だけなのである。ぐるぐると回転させると回転のコントロールなんてあったものではない。偶然刺さることはあるかもしれないが、術である以上はある程度の必然性を持って稽古したい。距離が短い時は「90度倒さなくてはいけない」という意識を持つし、距離が遠ければ今度は「90度しか倒せない」という意識に変わる。この90度、4分の1の回転をいかにコントロールするかが直打法を稽古するうえでの肝であり面白さでもある。
棒手裏剣はほんの少し削っただけでも飛び方が変わる。
では「どう変わる」のか。
まずはそれを理解することが自分にとって必要だと感じた。先端を削れば相対的に倒れるのが早くなるのか、遅くなるのか。その方向性さえ理解できれば、頭の中の理想の飛行イメージと実物をすり合わせてそこに至るまでにどのような道筋を辿るのが近道かを理解できると感じたからだ。少なくともこの時はまだ、どう削ればどう飛ぶか、その方向性すらもぼんやりとしか見えていなかった。いつ思わぬところで想像と逆方向に動く「逆玉」が出るかもわからない状態だった。
そこで、同じ太さの棒を13センチと17センチにカットして先端を3センチほど削ってみた。
もう一つは同じく13センチと17センチ、ただし少し太い棒で作ってみた。
間の15センチはすでに手裏剣として持っていた。
それらを打ち比べた。
さらに17センチのものを16センチに、13センチのものも数センチほど段階を踏んで削って倒れ方の差を検証してみた。
しかしまだ自分自身、手裏剣の打法も固まっていない時期の話である。2~3度打ってわかるようなものではない。1時間、2時間じっくり試打をして、次の日も試してみる。そしてまた少し削る。そんなことを数日掛けて繰り返した。打法が固まっていなかったのはある意味でラッキーだったのかもしれない。結果的に様々な打ち方、様々な角度から検証できた。
その時点での結論として、先端だけを削った手裏剣を比較すると「同一の長さの場合、太い方が倒れにくく細い方が倒れやすい」「同一の太さの場合、短い方が倒れにくく長い方が倒れやすい」「倒れやすさに対する影響力は長さ>太さ」ということが分かった。
つまり手裏剣が倒れすぎて悩んでいる場合は少し短くすればいい。逆に手裏剣が倒れずに悩んでいる場合は少し長いものを使えば応急処置的な対応は出来るということになる。まずはこの法則が分かっただけでも大きな収穫だった。
次に手裏剣の後ろ側、持ち手に当たる部分を削ってみた。
上記の実験で短くなった手裏剣をさらに削った場合どうなるのかを知りたかったし、なによりも削ったものは戻せない。短くしたものを長くすることは出来ないが、短い手裏剣の飛び方を改善したいときに全体を細くする以外になにかやりようがないかを探るためだ。
この試みは上手くいった。
後ろ側を削り、全体的に絞りが効いた形状の手裏剣は明らかに倒れやすくなった。
ちなみにこの時点で私は「手裏剣が倒れずに的に当たりだして刺さらない」状態に悩んでいた。だからこそ手裏剣を合理的に倒す方法を知ることは手裏剣を安定して的に刺すためにはどうしても必要なことだった。
後ろ側を削る面積を大きくしていくと倒れやすくなり、少しずつ安定して的に刺せるようになった。
この試みを経て、手裏剣の形状が持つ意味が少しだけ理解できるようになった。
私が最初に入手した手裏剣の中には長さ15センチ、太さ6ミリの四角形の棒状の物と、長さ16センチ弱、太さ6ミリ、四角形で後ろの方が細くなっていて絞りの効いた形状のものが含まれていた。この二つの飛び方はまるで違うものだったが、長さだけでなく尾部の形状も強く影響していたことが理解できた。
形状には意味がある。人が作り出したものには意図が含まれている。漫然と使っていてもハッキリとはわからなかったことが自分で作ってみて初めて具体的なものとなった。
もちろん、誰もが気軽にこんなことを出来るわけではない。それは検証作業がめんどくさいという意味ではない。
手裏剣術流派の中には「制定された手裏剣」を使う流派もある。
長さや太さと言った寸法だけでなく大まかな重量まで決まっているところもある。そういったところはその制定された手裏剣は伝統の一部であり、伝統を「守る」ことに大きな意味がある。その形状にも単純な刺さりやすさ以上の意味が込められているかもしれない。あるいは、先代、先々代と遡った開祖にあたる人物もまた様々な実験をして割り出した寸法だったかもしれない。よく「流派の動きは開祖のクセ」であると言われることがある。なるほど、もしかしたら開祖にとってベストの手裏剣が世代を経て手にした人に合わないこともあるだろう。さらには儀式的な意味合いから来た形状の手裏剣もある。そういった流派に所属する以上は伝統を守ることにこそ大きな意味があるのだから、刺さりにくいから別なものにしようとか、削ってしまおうという考えを持つこと自体ナンセンスだと言える。
制定された手裏剣をいかに使うか、そのための身体操作や手の内の工夫、そして心構えなどが求められる。つまり伝統的な手裏剣術流派の中には「手裏剣を刺す」こと以外も重視しているところが多い。それもまた、手裏剣術の面白さの一つだろう。刺さるという結果だけではなく過程も大事、過程において何を学び何を感じなにを得るか。そうした学びを得ることも重要視されている。武を通し学ぶ過程を道と呼ぶのであれば、手裏剣術も立派な「武道」と呼ばれることは間違いないのである。
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