片思いが好き

きょうも1日お疲れさまです。

昨日は、この冬初めて雪を見ました。
今までも降ってはいたらしいけど、
引きこもりの私は、家で寒さに耐えているので
少し降った雪には気づかず…
ニュースで初雪を知るくらいだったので
今回の本格的な雪で、個人的初雪です笑

さて、先日母親から、
〇〇くんと〇〇ちゃんが結婚したんだって
〇〇くんは入籍するんだって
と連絡が入りました。

正直、どんな顔のどんな性格のどんな子だったか
全くと言っていいほど覚えておらず…

知らない人だけど、皆おめでとう
みたいな…無な祝福?な気持ちになりました。

母親は、別に事実を伝えただけだろうし
そこに意味はないと思います。

なのに、何故か、勝手に
みんなはどんどん結婚していくよ
って、小さく小さく、でも確かに圧力をかけられている気がしました。

勘違いも甚だしいけど、なんか嫌だった。

かくいう私は、
結婚したいと思ったことがありません。

それは、私の家が母子家庭で、
私の家系が両親ともに離婚家系であることで
現実を見てるのかもしれないし、
終わりを知っているから、
終わりのあるものに手を出したくないのかも、
しれません。

それともう一つ、大きな理由として
現実はどうだが知らないけど
結婚する、結婚したいと思う人は
皆に素敵でしょう?といいたくなるような
そんな人な気がしているのですが…
(私は好きな友達は他の好きな友達に紹介して、素敵な人同士を引き合わせたい節があるようだから、その最上級が結婚相手な気がしているのです。)

その人に、
この世でいちばん人様に見せたくない存在を
紹介する、紹介しなければならない

でも、私は皆に見せたいくらい素敵な
ある種の汚れのない人に、私の汚点を差し出すことに抵抗があります。

だから、多分
そこがクリアできないと
私はその先には行けないように思います。

汚点を見られてもいいと思えるほど
どうでもいい人か
汚点を見られても、
この人は私は私だと分けてくれると思えるほど
信頼できる人か、
汚点だと思わないでいてくれそうという
希望の持てる人か…

多分とても限られてくると思います。

それから、
何でそういう思考回路になるか分からないけど

友達=半永久的な付き合いが可能。
   より深く付き合うと代替不可となる。

もちろん、精神のステージによって付き合う相手の変化はあれど、よっぽどの何かが発生しないという、謎の大前提がある。
おそらく、友達は自然体でいられて、取り繕わないから、楽なのだと思う。
それと、男女問わず、仲良くなり、関係を構築できると、友達というか「〇〇さん」「〇〇くん」という個々として私の中に存在し、代替が効かない存在になるため、失うことが怖いから恋愛関係には発展できない感じになる。

恋愛関係=双方の努力により持続可能であり、
     始まりがあれば終わりもあり、
     その立場について他者で代替可能。

なんでか分からないけど、
好かれないといけない(義務的、努力)…とか
どうせいずれ終わる(刹那的)…とか
その人でないといけないことはなく、また次の人がいるかも…とか

友人関係においては、関係性の構築の中で発生し、それを終えた人だけが友人になることができる、
こちらを理解してもらい、相手を理解する作業や
歩み寄りをして、すり合わせる作業を、関係を構築しながらしないといけない事が多い…

でも、
友達も恋愛関係もどちらも人間関係には変わりなくて、その関係において、尊重すべきことや大切なこと、関係の築き方は同じはずなのに、

そこに「好意」というものが挟まることで、
「好きな人に好かれたい」という欲が生まれ

「(思ってないけど)分かるー」っていう共感

「(理解できないけど)分かるー」っていう同意

そういうのの積み重ねで
共感してもらえた!理解してもらえた!と
思っていても
あるときふと
「この人は、私に好かれるために合わせていただけで、本質を共有できたわけでなかった」と気付かされる時がある。

友達では許せるものが許せなかったりするのは
友人関係においては無責任でいられることが、
関係が変われば責任が発生するからで…

その他にも、
何故か義務的な何かが発生してしまって
いつもめんどくさくなる…

あと、友達と比べて、暗黙の約束事が多いのも非常にめんどくさい

私個人的なことで言えば、
別に付き合ってる人がどこの誰と遊びに行こうが
私がその人にとって特別であり
その人の中で私という存在や役割が、確立できているのであれば、特に気にならない

逆に確立されておらず、
代替できる存在であると認識されていると感じたり、特別でないことを感じれば不安になる。

なのに、私は不安になるのに
恋愛関係の相手は代替できる存在であると思っていて、終わりはあって然るべきと思っているのが
、何とも矛盾していて頭が可笑しい。

おなじように

片思い=半永久的
私が嫌いにならなければ永遠であり、
好きな所を探すので嫌いになることがそもそも少なく、息が長ーい付き合いになる。趣味や推し活など…
また距離感あるため、嫌な所が見えにくく、都合の良いところばかり、勝手に見るので長続きしやすい。

両思い=刹那的
たとえ私が好きでも、相手が好きでなけば成立せず、近くで深く関わるため、嫌な所が見えやすく、よって永遠とは言い難い。

と思っている所がある

そもそも、片思いの対象については、
好きになるのに時間が掛かるし
好きを自覚し認めて受け入れるのに
悩んで苦しむのに

恋愛関係について
私はスピード勝負な所がある気がする

面倒くさいから早く両思いを求めがち
なのに嘘の共感性を見抜けない

だから、両思いを持続することが難しいし、
それに好かれたいという欲が好きじゃない。

私は何となく
1人でいるほうが私らしくて
1人でいるときの私のほうが好き

孤独とか寂しいとか思う人もいるのかもしれない

でも、私一人でいても
孤独感も寂しい感情とかもないんだよなぁ

それに、誰かと付き合ってるときは
別に何も思わないんだけど
別れたあと
別れてから時間が経つほどに
自分というものが戻ってきた気がするし
趣味とか色んなものが充実してきて
好きなものの輪郭とかがハッキリしてくる。

心の満足度が
付き合ってるときとは別の方向性で満たされる

でもって、一人でいるときに満たされる満足度を
私は求めている気がする。

自分で自分の予定を決められるのが良いのかもしれない。

相手の不安を減らすために相手を優先して
自分を優先できていないのかも

ただ、付き合うってことは
自分だけを優先できるわけじゃないから
難しい

ここ最近、よく考える
私は何が欲しいのか

私は私が自分に心地よくあるものがほしい

だからもし、その得たいものの先に
一人でいるという選択があったとしても
それは決して後ろめたい選択ではないし
誰かといるという選択をしないことが悪いことな
わけではないのだと
どこかで折り合いをつける日もあるかもしれない

うまくいえないけど
私、1人は1人で好きで
片思いが性に合っている気がするの。





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