許容範囲について
こんばんは。
今日、新居に移ってから初めて
お香を焚きました。
何となく、マッチで火をつけたくて
なのにマッチを買い損ねる日々が続き、
2ヶ月たってようやく…
香りものは好きみたいだけど、
煙になった時の香りと
火を付ける前の香りが違うものもあって
うまくハマらないと頭痛が発生するので困りもの
今の家は全体として空気の回りがいいので
そんなに気にしなくても良いかと
色々焚いてみようと思います。
さて、今日は許容範囲のことを…
私は昔から、許容範囲が極狭人間で
特に近くなればなるほど、
「近い!!」となりがちで…
どんなに仲が良くても、
入らないでほしい範囲や
開示しない範囲があるようなのだけど
これが自分から見た範囲の方が
他人から踏み込んで良いと判断される範囲より
広いようで…
仲良くなったからと踏み込まれた際に
え…許してないけど…?
となる…のを繰り返している気がします。
あとは、私はあまり?というか
確実に、自意識をもち、他人の目も意識しながら注目を集めたがる子供が苦手です。
というか嫌い?
だから、あえて、
面白くないからという理由で
またはその他のなんてことない
自分本位の理由で、
自分に大人の注目が集まるように発言する子を見ると、
満たされてないんだね。
かわいそうにね。
(私の中で1番馬鹿にした人に使う言葉が、かわいそうなのです。自分を棚に上げて、あるいは自分は安全な位置にいたうえで、下に見てる人にしか使えないから。)
と思います。
前に舞台に行った時に、
少し怖いシーンがあり、後ろの席の男の子が
「来なきゃ良かった…こんなの宿題をやってるほうがマシだ…」と呟くと、親にウケた。
すると、怖いシーンが来るたびに、
声のトーンを少しずつ上げ、
今度は周りに聞こえるように、
同じことを呟いていた時は、
あまりにも
他者からの注目を浴びることへの快感に
走りすぎていて本当に頭にきた。
なんのひねりもなく同じことを呟くことにも
一度擦れば、またウケると思っていることにも
嫌気が差したし
自分本位で
周りの楽しんでいる人や作り手への配慮が
まるでない姿勢も、浅ましいと思った。
親も伝えるべきでないか。
伝えられないからこうなるのか。
本来はいい大人なのだから、
まだ小さい子なのだから仕方ないと思えばいいけど…
どうしても会話ができる子供に対して、
同じ土俵でイライラしてしまう。
なので、
まだ物心ついていない赤ちゃんなどは、
他者からの注目を浴びようとしないから
可愛いと思えるけど、
心の飢え、満たされていないことが表れてくる
言語化の能力が上がってきた子は苦手。
とても許容範囲が狭い。
子供に対してだって、こんなに狭いので
大人についてはもっと狭い。
社会人なりたてのときは、
あまりの自分本位っぷりにびっくりした人が
職場にゴロゴロいて絶望したし、
メンタルも削がれた。
でも、色んなタイプの絶望を繰り返したら
自分の心の守り方が分かってきて
許容範囲が広くなったというよりも、
ここから先は、人を入れなくて良いゾーン
ここから先は、開示しなくて良いゾーン
ここから先は、理解されなくても良いゾーン
ここから先は、他人は不可侵のゾーン
何でもかんでも全てまるっと見せなくて良いし
誰に何と言われようが好きなものは好きでいい
揺るがなくて良い
ことを理解でき、運用できるようになっただけ
そして、そんなふうに色んなタイプに出会って
人への期待値が下がり、人への興味が失せてきた。
ふと、数年前に数個年上の人に
「自分はもう、君みたいな年代の恋愛はできない。好きとかきらいとかそういうのはよく分からなくなってきたし、そういうもので動かされることもない。」
みたいなことを言われたことを思い出した。
おそらく私は、今、そういったその人と同い年。
それって、今までの人と関わってきた経験値から
ある程度予測がつくし、
高校生の時は「電車通学なんて…もしかして、電車の中で漫画みたいな出会いがあるかも!」とドキドキできても、今はそんな事は発生し得ないと知りながら、過去の私なら…と妄想のネタとして楽しめるようになってるし、
少し前までだったら、「2人でご飯なんて…脈アリ的な何かかも?発展しちゃうかも?」と思うかもだけど、今はそんなこと関係なく、ご飯を食べに行くこともあるし、そもそもそんな簡単に人は人に好意を抱かないとも知っている。
だからこそ、
面白みがなくなっているのかもしれないし、
未来への期待値や
これから発生しうる超楽観的な希望的観測への
興味が薄れて、
目の前には干からびた現実が転がっていることを
理解している。
結果として生きていきやすくなったようにも
潤いが無いようにも思える。
許容範囲が狭いまま
許容範囲に入ってこようとする人間にすら
興味がないからこそ
許容範囲が広く見えてきただけなのではないか
不法侵入者に対するセンサーが鈍くなり
侵入者を認識しなくて良いようにサボっているだけな気がする。
ただ、そんなふうに認識できなくなった中にも
確実に私が許せないタイプの人間がいる。
それは自己愛の強さが他者へ向いている人。
例えば、トレンチコートの襟を立てて着るタイプの人がいる。確実に格好つけているのが分かる。
でもその人の襟を立てる行為が、
他者から見てかっこいい自分でありたいのか
自分が自分から見てかっこよくありたいのか
どっちになるかによって、嫌悪感が180°違う
前者はものすごく嫌い
こういう人は大概プライドも高いし
大きく出るくせに、肝心のところで自己愛に負け、保身に走る。
そして自己愛が邪魔をして、正しい判断が即座にできない。
あと大概自分と向き合っていないから、自分の根本的な根っこの本音が見えていない。
それに、襟立てるのダサッ!と言われたら、次の日からはしてこなくなるタイプ。
こだわりがある自分を装ってはいるけど、他者からの評価軸だけで簡単に手のひら返すタイプ。
後者は、
自分にとってのかっこよさを追求してるから、
他者からの目線を気にしてない。
ダサいと言われても、自分は好きだからとやるだろうし、襟を立ててる自分が好きな人が好きそう。
一見自分本意だけど、軸があるし
そういう人は大事にしてる範囲は守るけど
あとは大概どうでも良さそう。
他人と自分が違うことも分かっているから
コントロールもできないし、同調も求めてない。
何が好きか、何を求めているかを知っているから
何が嫌いかも知っていて
自分自身のことをよく知っているからこその自己愛。
そんな感じ。
まぁでも、相手が誰かによって
人間誰しも前者も後者も両方の面を持っていて
好意を抱いてほしい人には、他者の目を意識した前者の振る舞いをするだろうし
どうでもいい人には後者の振る舞いをすると思う。
私は前者の振る舞いが苦手だから、
私にとっての蛙化現象は恐らくそれで、
なかなか上手く噛み合わなかった。
(当たり前だけど、どうでもいい人からの前者的振る舞いは、嫌悪感を通り過ぎて吐き気を催すし、絶望する。)
オトナになって、
自身のカッコつけの好みが分かってきたから
自分からも矢印が発生する、好意を自覚している人からの前者的なカッコつけは、
相手からのその意識を差っ引いて、
許容範囲の確認をするようになったけど、
やっぱり私は後者のような気持ちでいれる人と
仲良くすべきだと思うし、
最終的に落ち着くのは、私も相手も後者的に振る舞える人。
本来の自分に近い状態で、フラットに…
そうおもうからこそ、
自己愛が他者へ向き、他者からの目線、承認により自己愛を満たすタイプの人は
私が、恐らく共感性羞恥が発生したり、
行動の奥底に透けて見える思惑や
期待、こちらに求めるものを満たすための存在意義とされているように感じてしまうので
一緒にいられない。
誰しも好きな人には前者的になるのに
私は前者的な人が嫌い。
なんかもう私は一生満たされない気がしている。