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最悪な試合に何を考えるか 指導者に必要な自責思考と共感力


こんにちは

秋を感じ始めました

10月7日
小学4年生の区大会

始まってすぐ感じた  今日はそういう日だなと

試合前の元気が何一つない 誰も喋らない

よく言うお葬式みたいな試合  

走らない 競らない 寄せない 取られても追わない 全部相手のアクションを受けるだけ 意思を感じられない試合

当然試合には負けた 今まで負けることがほぼほぼなかったチームにいいとこなし

結果はどちらにせよ、意思のない、プライドを感じない試合にがっかりした


俺たちってこんなもんなのか 言葉にならないモヤモヤが自分の中で起きた


言うべきか迷ったが、試合後正直に話した


「4年間見てきてこんな最悪な試合はなかった。走らない、闘う意思を感じない、取られても取り返す気もない、そんな選手がこの先うまくなるわけないし、そんなチームが試合で勝てるはずがない とても残念な試合だった」

サッカーのベースには走ること、目の前の相手に負けない意思を持つことが当然入っていると思う  足でボールを扱い、複雑な状況での判断を必要とするサッカーだが、
ベースは目の前の相手との一対一に負けないことが必要である


自分が小学生の時、コーチから闘え!走れ! そう言われるのが嫌だったことを思い出す。 そんなのわかっているよ プレー以前の問題でしょという認識があった


今日をきっかけにそういった意識に変わればいいな


めちゃくちゃ悔しい1日 楽しみに仕事を終わらせてきた分、残念な気持ちが強かった


しかし、それは自分の感想 感情 選手、保護者には関係のないこと



ここからはこの結果を自分に当てはめる


このチームを創ってきたのは自分だろ  自分の指導、導きにエラーがあったのでは

試合前にこの結果を予想し未然に防げなかったか

試合前にスイッチを正しく入れられたか 前の試合がPKになり試合時間が遅れたことで精神的な緊張が起きた可能性はないか


始まってすぐ修正はできなっかたのか 何か打つ手はなかったのか

どこまでも指導者として正しい行動、言動でいたか


そう考えると責任は自分にある

言いたいことだけ言って終わりではだめだ

プレーに責任を持てとハーフタイムに言った

指導に責任を持とう 自分よ

発した言葉に責任を

どこまでも自分に責任を当てはめられるか



「今日良かったことは、気づけたことだけ」

そう言って締め括り解散した


気づけて良かったのは自分こそ

他責から自責

自分が変わって選手も変わろう ともに成長する仲間だろ


改めて、教育、育成、指導は自分が思っているより、もっともっと奥深い


そして正解はない


さぁ さらに成長しようじゃないか  僕らはまだまだここからだ


では、また

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