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洗うが如く2(by赤貧太郎)

もう時効だからよしとしよう。
僕は35年に渡る役人生活の3分の1を家庭裁判所というところで過ごした(今でも形は職員ではあるが・・・)。
僕が入社した当時には、家庭裁判所の自慢は、調停という非公開の制度で、調停委員が、夫婦の別れ話を聞いて、なんとか円満に解決しようと奮闘努力するシステムで、当時、調停という場でどんな話が行われているのか、調停委員というフィルターを通してしか分からなかった。

歳月が流れ、家庭裁判所に人事訴訟という裁判制度が入り、夫婦の話が当事者尋問という形で聞けるようになった。
その時の話。
確か20代の夫婦であったろう。婚姻して7,8年だったような記憶がある。
共働きだけど、なかなか実入りが少なく、車の維持費や社交費でサラ金にも借金があり、苦しい生活を送っていたように思う。
当時は珍しく、男の方から離婚を申し立てたので印象に残っている。
その時の妻である女性の話である。
夫側の弁護士が、舌鋒鋭くその女性を攻めた。
「車で遠出しようとしょっちゅう◯◯さん(夫)に働きかけ、遠出するだけで何もせず、そこでガソリン代を無駄にして帰ってくる。」
「◯◯さんには、仕事や、仕事を得るための社交上の付き合いもあった。あなたは何も目的なく◯◯さんをドライブに誘うことで、本来であれば、◯◯さんが仕事をしている時間を奪い、◯◯さんが仕事を得る機会を奪う。なぜ、生活が苦しいと◯◯さんを責めながら、一方で自分のわがままを通して◯◯さんが生活のためにお金を稼ぐ時間や機会を奪ったのですか。」
一方的な言い分だと思うが、女性には、弁護士が付いていなかった。
緩衝となってくれる、あるいは、相手の弁護士の容赦のない攻撃に理路整然と反撃してくれる味方は誰もいなかったのだ。
女性は、証言台でうつむきながら答えた。
「お金のない事は分かっていました。しかし、遠くまで一緒にドライブして、お金がないので、行った先のコンビニでジュースを買って景色の良いところで車を止めて、ジュースを二人で飲んで帰って来る。」
「それだけで、それだけで幸せだったんです。」
裁判の結果は覚えていない。弁護士の質問の細部は違っているかも知れないが、
「それだけで、それだけで幸せだったんです。」
という証言の場面は、数十年経た今も色褪せずに頭に焼き付いている。

時は変わって先日の話。
妻とドライブに行って来た。
妻から提示された予算は3000円。
しかも、所用を足すついでにドライブもするという。
妻も私もまだ現役で働いているので、というか、年のせいか朝早いのは気にならない。
朝7時には、用意ができてしまった。
さあ、出掛けよう。
近くに住む父からメールが入った。
「腰が痛くて起き上がれません。」
この間の悪さ。さすがである。
しかし、そこはもう4年近くも在宅介護をしているビジネスケアラー
慌てず、騒がず処理していく。
もう午前9時半には、すべて処理し終わった。

さあ、出発である。
向かった先は、北海道のとある街
私と妻にとって、懐かしさと悲しみが詰まった街である。
貧乏暇なしで、普段、せかせか生活をしているせいか、周りの景色が目に入っていない。
こういう余裕のある時間があるときは、まず、草木が目に飛び込んでいるくるから不思議である。
もう近くの山しか登らなくなったが、若い頃は、人が歩いていない山の奥まで踏み分けて入った。不思議と孤独を感じることはなかった。
僕は登山をしているときは、よく動物に会う。
というか、北海道は小動物が多いのであろう。
きつね。シマリス。エゾリス。クマゲラ・・
幸いにヒグマには会ったことがない。
あっ。そういえば、若い頃、北海道のひなびた漁村の役所に勤務していた頃、遠目に道路脇から森の茂みに入るヒグマの「お尻」を見たような気がする。
それよりも、山では草木が語りかけてくる。
山奥に踏み入り、誰にも会わない時間が過ぎ、歩いているだけで怖くなってくる、そう、宮沢賢治の注文の多い料理店の冒頭のような状態に陥ったとき、
突然、気配を感じてその方を見ると、森の奥に一輪だけ可憐な花が咲いていたりするのである。

ドライブ中、妻の「長男が大学院に行くようになれば、
200万円かかるらしい。」とかいう話にもうんうんうなずき、
目的地で所用を足して、
お昼になった。
明治の建物を改装した古民家に入る。
お蕎麦屋さんである。
この街にも20年以上通ったが、人間関係に振り回されて、街を散策する余裕もなかった。
こんなところに蕎麦屋があったのか。
そば屋に入ってお品書を見る。
天せいろ 1950円
鴨南   1400円
せっかくのドライブだもん。
私も妻も
私 せいろ 750円
妻 かけそば 750円
を頼んだ。
そば粉をたくさん使っていたせいか、そばにしては満腹になった。

近くの白蛇を祀った神社に行く。
人気がない。
突風が吹く。
近くの木々が激しく揺れて、大きな音がして、松ぼっくりのついた小枝が
お社の前に降ってきた。
「神様に歓迎されたのかしら。」と妻がつぶやいた。
この松ぼっくりつきの小枝は、現在、玄関で門番のように我が家を守ってくれている。

妻がどうしても言うので、
インスタで見たという喫茶店「青」に行った。
アンコ バター トースト 500円
お腹いっぱいにかかわらず食べてしまった。
コーヒーを待っている間、スケッチブックがあったので妻を描いた。
絵を描くのは、20年ぶりぐらい。
「ロシア人みたいね。」と妻が言った。
妻は純日本人である。

帰り途、冒頭に書いた話がよみがえった。
30年以上も経って、あの女性の言葉の真の意味を理解した。







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