【ブラームスが大好き】#1〜晩年 ピアノのための6つの小品118-2より〜
なぜでしょう。時代も場所も遠く離れているのに、私には🇩🇪ヨハネス・ブラームスくんのことが他人のように思えなくて、
彼の曲調というか音楽の節回し?みたいなものに惹かれて琴線に触れまくります😊
あとエピソードなどもなぜか惹かれるのですよ。
まあ、簡単にいうと好き💖なんですね😆✨
まぎれもなく「偏愛」💖ですが、彼と彼の音楽への想いを少しずつ、noteに綴りたいと思います。
不定期ですが、少しずつ🐢😌
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ちなみに私は素人の音楽愛好家です。単なる音楽ファンゆえあまり専門的に音楽を解説することは出来ませんが、
音楽を愛する気持だけは負けないと思っています💕😊
難しいことは抜きにして、一音楽ファンが音楽と音楽家を楽しむ時間をご案内出来たらよいです😌🙇♀️
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吹奏楽部にいた頃は金管楽器を吹いていて、当時NHK FMで世界の有名なオーケストラand指揮者の組み合わせで、演奏が聴けるのを楽しみにしておりました✨
高校生の頃、有名なオケが来日するときは音楽事務所やチケットぴあに電話して(ネットがなかった時代😁)チケットを押さえることにトライ。
競争率が激しかったり、平日だと授業中で電話のタイミングが合わずだったりで、滅多にないチャンスではありましたが、
チケットが取れたら超ラッキー✨そのときとばかりにお小遣いを投入したものです💸
そんな私が初めて著名なオーケストラ鑑賞に行ったのが、30年以上前の小澤征爾さん✖️ボストン交響楽団がNHKホールに来日したとき。
そのときのプログラムがブラームス「交響曲第1番」ともう一曲(忘れました😇)
それをきっかけにブラームスを聴くようになりました😁
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ブラームスといえばクララ・シューマンとの交流についてお聞きになることが多いかと思います。
作曲や音楽の才能あふれるブラームス青年は音楽活動を通して20歳の頃、
当時音楽界の巨匠だったロベルト・シューマンと運命的な出会いを果たします。
それは才能あふれるピアニストでピアノ教師だったシューマンの妻クララ・シューマン34歳との出会いでもあるのでした。
2人の親交はクララが亡くなる76歳、ブラームス62歳まで続きました。ふたりは14歳差。
ロベルト・シューマンは青年ブラームスの才能を見出して音楽界に紹介。間もなく精神の病で自殺未遂を図り、
入院生活を経て、1853年ブラームスと知り合ってから間もない1956年にその生涯を終えました。
幼くして亡くした子どものほか7人の子どもの母であったクララ・シューマンは演奏家として活動しながら一家の大黒柱となり、
自分を見出してくれたシューマンへの恩義を忘れないブラームスは、子どもたちが小さい間は
クララとシューマン一家を支えながら音楽家として活動するのでした。
2人は再婚することはなく、ブラームスは生涯独身。(恋をした話は幾つかありますが)
ブラームスとクララの生涯の往復書簡は800通を超えるとも言われています。
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ふたりの間には恋愛関係はなかっただろうという大方の見方があり、人によってはいやそんなことはないだろうという人もいますが、
(若かりしブラームスはシューマン死後に求愛の手紙を送っていますが、クララがそれに応えたかは定かではありません)
お互いにお互いをとても大切に想い尊重していたようです。音楽家としてもインスピレーションを与え合っていたのでしょうし、
ブラームスの作った曲はいくつかクララに献呈されたり、彼女にまつわるエピソードが残っています。
まあでも男女の間柄があったかどうかはどうでもよく、音楽で身を立てた仲間同士が信頼しあい支え合いながら生きて来たこと、
あんな時代に子育てしながら音楽家として生きた女性がいたこと、
素晴らしいたくさんの音楽を残してくれたこと。。
それだけでブラームスもクララも音楽家として生きてくれて、作品残してくれてありがとう、と思います✨✨
晩年のブラームスがクララに捧げた曲の中から
「六つの小品118-2より間奏曲」
参考文献:ジュニア音楽図書館「愛と苦悩 ブラームス」文と絵/池田理代子 音楽之友社
「ブラームスの音楽と生涯」吉田秀和 音楽之友社