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自分のことはよく見えない

これは特定の誰かに向けた話ではなく、私自身も含めて誰もが陥る危険のある話。

人は誰でもある程度は自分はこういう人間である、という自分像や自分のパーソナリティに対する自己評価の意識を持っている。

でもそれは他人から見ると外れて見えることが多い。
つまり、自分から見た自分と他人から見た自分に乖離があるということ。

自分のことなんだから、自分から見た自分像が一番正しいに決まっている…と信じ込むのは危険。

例えば、自分のことを繊細で敏感で傷つきやすいと自覚していて、そのことをプロフィールに書いたり常に公言している人…
こういう人は時として、私の目から見て図太く見えることがある。

本人が自分は繊細で敏感で傷つきやすいということをアピールしているが故に、その言動とのギャップにチグハグな印象を持ってしまうんです。

いやあなた…傷つきやすい割にはめちゃくちゃきついこと言ってますよ…
あなたは確かに繊細なのかもしれない…
だけど心で思っていても口には出せない人
出さないほうがいいと考える思慮深い人もいますよ。
自分を特別視しすぎていませんか?
繊細で傷つきやすい私が、満を持して発言していることなんだからこれは良いことなの!
私って繊細で傷つきやすいから、人の気持ちがわかり過ぎるし、先読みできちゃうから本当に疲れる…私って大変なの…
だからこれは自分を守るための正当防衛。

こんな気持ちが透けて見えてしまうことがあります。
違うかもしれないけど、そんな印象を抱いてしまうことがよくある。
何だかそんな時にはモヤモヤっとします。

そんな風に見えてしまうのは、私の捉え方が悪いのかもしれないけどね…。
こんな風に人を分析する私って中々性格悪いかも…と思うけど、あながち間違ってないと思うんですよね…。

じゃあ何が本当の私なのよ?ってわからなくなりそうですよね。
これは超難問ですが、そもそもエゴと呼ばれる部分は本質の自分そのものではないので、
自分という存在をエゴだけで捉えるのは
無理なんだと思う。

これが現時点での私の答え。

つまり自分1人では自分のことはわからない。
だから自分のエゴの声だけでなく、周りで起きる現象や鏡になる他人の言動も取り入れて、
総合的に自分を俯瞰する必要がある。

「繊細で傷つきやすい私」というのは、別の側面から見ると「自分中心の図太い私」に見えてしまうこともある。
自分で自分のことを「自分中心の図太い私」と認められる人は少ないでしょう…だから鏡となる他人の言動は別の側面の自分を知る手がかりになる。

私が人間観察が好きで、色々と分析してしまうのは他人ではなく自分のことが知りたいからかもしれない…この文章を書きながらそんなことを思った。


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