ドラマ「何かおかしい2」花岡さんの人間性について分析・考察(中編)
ネタバレあります。
ドラマ「何かおかしい2」の花岡さんの人間性について考察していきます。
前編はこちら↓
それでは、本編の花岡さんを追っていきます(手前の話が長い)。
①第2話「おだいこさま」
第1話のてるてる坊主事件で田中シューさんが降板し、新しく構成作家として内山さんが入りました。内山さんを上村さんに紹介したのは花岡さんだそうです。ここでいくつか疑問が湧きます。
まず、なぜ上村さんは花岡さんに後任構成作家の紹介を頼んだのか。
上村さんは、本当は花岡さん本人を呼びたかったのではと考えます。第2話の段階では上村さんは「スピリチュアルな時間ですよ」関係者への明確な復讐は考えていませんが、オビナマを終わらせるつもりでいます(上村さんの計画についての考察記事参照)。
トラブル続きで打ち切りになった番組のスタッフとなれば経歴に傷がつく。罪もない人にそんなレッテルを負わせるのは気が引ける。だから「スピリチュアル〜」も含めて既にいろいろやらかしている花岡さんに白羽の矢を立てた。性格的にも面白がって引き受けてくれそうですし。
では、どうして花岡さんは田中シューさんの後任を引き受けなかったのでしょうか。
動画配信活動が軌道に乗っていたからではないでしょうか。オビナマneo の構成作家になればそちらに時間を取られてしまう。オビナマneoも開始早々アクシデントに見舞われていますが、今後もそんな派手な出来事に出会えるとは限りません。
だからどちらがより自分を楽しませてくれるか天秤にかけた結果、オビナマを断ることにしたのでは。
ならば、内山さんを紹介した意図は何か。もしオビナマneoが面白い状況になったら、取って代わるためだと推測されます。
シーズン1での花岡さんの登場時テロップが「構成作家」だったのに対し、内山さん初登場時のテロップは「新人構成作家」です。また、シーズン1の番組サイトで花岡さんは新人ではなく若手構成作家と説明されており、演じている俳優さんのインタビューより「バラエティから動画配信サイトまで多くの番組を手掛けている」そうです(シーズン1の花岡さんの人間性考察記事参照)。
つまり内山さんは花岡さんよりだいぶ格下。通常、紹介できるのは自分と同格かそれ以下の人物になりますが、そこまで未熟な人を推挙するでしょうか。他に知り合いがいないとは考えにくい。知り合いの中で唯一暇そうだったというのはあるかもしれませんが。
オビナマneo も今後面白くなるポテンシャルがあり、動画チャンネルとのコラボにも利用できる可能性大。だからみすみすチャンスを手放すのは惜しい。そこで座席確保役として内山さんを送り込んだのではないでしょうか。
実際、第9話から花岡さんはメイン構成作家としてスタジオに舞い戻り、内山さんは仕事を半ば奪われています。
②第7話「ほんもの」
上村さんと協力してオガミサマの復讐の舞台を用意しています。花岡さんはなぜ協力したのでしょうか。
わかりやすい理由としてはフォロワー集めと、ラジオなら大掛かりな仕掛けができるからというのが挙げられます。
オビナマとナーハーチャンネルは系統がにており、オビナマ民はナーハーチャンネルに引き入れる余地が十分あります。また、公共の電波(一応)に自身のチャンネルが絡むのは良い宣伝になります。
また、個人で運営している動画チャンネルよりも会社資本がバックにあるラジオの方が、セットも演出も凝ったものを用意できます。
しかし、この2つの条件は他のネットラジオや有名人配信者でも満たすことができます。勢いのある花岡さんなら、他の人からもコラボのオファーがいくつもあったでしょう。それに構成作家としての賃金より、動画配信での収入の方がずっと高いはず。なぜオビナマneo だったのか。
オビナマが、他ならぬオビナマだったからではないでしょうか。もちろん前シーズンのオビナマと今シーズンのオビナマneo は別物です。でもどちらもしょっちゅう放送事故レベルのアクシデントに見舞われています。
花岡さんの中の崩壊した倫理観や面白さ至上主義を引き出した根本原因であり、配信者としての土台となったのもオビナマです。過去の感動の再来を新しいオビナマに見出したのではないでしょうか。つまり、作り手と同時に受け手として惹かれる部分があった。
③第8話「めいこん」
この回で、花岡さんのオビナマneo 構成作家としての参加が表明されました。花岡さんが仲間入りを決めたのは、オビナマneo でもハプニングが続発し、さらに上村さんがまだまだ事件を起こすつもりだと確信したからでしょう。2話での花岡さんの目論見通り、内山さんは居場所を追われることになりました(前編記事参照)。
さて、この回の終わりで花岡さんと上村さんが話しているシーン。花岡さんの台詞で気になる点があります。
まず、アヤさんとマナミさんについて「事件を起こして打ち切りになった番組で共演していなかったっけ。なんていう番組だったかな」。この打ち切りになった番組は言わずもがな「スピリチュアルな時間ですよ」。上村さんはその関係者へ順番に復讐していっています。
花岡さんは、この上村さんの企みに気づいていたのではないでしょうか。アヤさんとマナミさんが共演していた番組が気になるなら、上村さんに訊くより検索した方が早いし確実。「スピリチュアル〜」は人気だったようなので調べればすぐに辿り着けるはず。
そうしたらその出演者や製作陣の多くがオビナマneo に出演していること、そして散々な目に遭っていることにも気付けます。だから花岡さんは上村さんがどういう意図であれ「スピリチュアル〜」関係者を狙っているらしいとわかっていた。
では自分も復讐されるという意識が花岡さんにはあったのでしょうか。私はあったと思います。正確には復讐されるというより、復讐されてもよかった。
当時の花岡さんはあくまでリサーチャーで、立場も弱かった。でも谷口さんやアヤさん、マナミさんなど、番組を左右できるほどの力のなかった人たちでさえターゲットにされました。だから花岡さんも復讐対象となる可能性大。
何の恨みかはわからないにせよ、自分を狙っているかもしれない相手に近づくのは危険。でも花岡さんはその危険をこそ手に入れたかったのではないでしょうか。
上村さんとともに仕掛けを施すのは作り手として楽しいけれども、出来事は大抵計画のうち。だから受け手としてはつまらない。復讐された人たちは、みんな予想外の方向から被弾しています。復讐される時、花岡さんはようやくエンターテイメントを提供する側から享受する側になれる。だから面白さを追求する受け手として、復讐されるリスクを進んで受け入れた。
ダメ押しのような「なんていう番組だったかな」という問いかけは、わかっていると仄めかすことによる作り手側からの遠回しな牽制と、最後までやれという受け手側からの挑発。
もう一つ気になるのが「メディア大嫌い人間ですから」。自分は上村さんの仲間、という流れでの発言です。果たして上村さんに警戒されないように同類アピールをしただけでしょうか。
ドラマ本編で花岡さんは暴露がヤラセであることを隠してはいても、はっきりと嘘をつくシーンはありません。上記の発言にも一定の真実があったのでは。
メディアが大嫌いだとしたらなぜなのか。過去に何かあったとしたら、そもそも構成作家にならないか、上村さんのように何らかの意趣返しを企むでしょう。とすると、業界で過ごすうちに嫌いになったことになります。
旧オビナマ終了後も動画チャンネルを開設し、オビナマneo に戻ってくるなど、むしろメディアに執着しているように見えます。この執着こそが嫌悪のもととなったのではないでしょうか。否、執着の表出形態の一つが嫌悪だったのでは。
メディアで企画を考え調査をし、番組を作るのは楽しい。観るのも突発的なハプニングも面白い。反応があれば嬉しい。その代わりアイデアが思いつかなかったり通らなかったりしたら苦しい。リサーチが難航すればつらい。番組として結実しなければ徒労。コーナーが盛り上がらなければつまらない。反応がなければ悔しい。
プラスの山が高くなればなるほど、マイナスの谷は深くなります。快楽、感動、興奮、期待、希望、落胆、失望、焦燥、不満、絶望。それらが入り混じり、ドラッグに耽溺するようにメディアの魔力から逃れられなくなる。生きるよすがとしながら、それ無しでは生きられない。ままならなさの余り、憎しみが募っていく。
ある意味で愛の裏返しと考えると、自己すらコンテンツ化し、メディアの中の人間となりつつある花岡さんの現状と嫌悪の情との矛盾を説明できます。
④第9話「ひきこさん」
上村さんに唆されて七北市議の極秘出産ネタをぶち上がるも、市議に肯定されて不発に終わります。
上村さんの挑発、「他人の秘密や弱みをたてにそこ(スタジオ)に座ってるんですからね」に対して花岡さんは「その通りですよ」と応じて暴露の運びになります。
売り言葉に買い言葉としては花岡さんの態度に余裕があります。他人の弱みや秘密の上に立っているという自覚があるのでしょう。逆に言えば、他人のコンテンツ化に頼っている。自分自身には発信できるものがない。
隅の婆様の時、オビナマスタッフは花岡さん含めてエンターテイメントの一部として消費されました。リスナーにとってドラマ的に視聴される虚構となったわけです(シーズン1花岡さんの人間性考察記事後編参照)。そして配信者になったばかりの頃も、やはり虚構の中の人間であり続けようとしました。
しかしナーハーとして売れている花岡さんはもはや虚構の中にいません。他人のスキャンダルを加工して劇的に虚構化する傍ら、自分はドラマティックあるいはショッキングな内容を画面の向こうへ届ける橋渡し役へと浮上しました。
人気が出れば周囲からの扱いも変わる。現実の象徴である金銭も転がり込んでくる。泥臭い情報収集や生々しい取引を繰り返すうち、花岡さんの住む世界は紛れもない現実へと成り果てている。
かつてはつまらない現実に見切りをつけて虚構に活路を見出したはずなのに、暴露チャンネルというある種の異世界を成立させるため、いつしか現実に軸足を置き苦労するようになっている。メビウスの輪を一周したように、現実に戻ってきてしまいました。
退屈な現実の一部たる自分もまたつまらない存在。だから他人から面白い部分を探して抽出して、楽しいフィクションと繋がり続けようとしている。そうした悪あがきが世間から評価されて、持て囃されているから花岡さんは上のような実態に気づかない。
「他人の秘密や弱みで今の立場がある」という上村さんの挑発に、何らかえりみるところなく「その通りですよ」と答えた。このシーンは花岡さんが自身の抱えるある意味での虚しさや、展望の無さに無自覚であることを示す象徴的なシーンなのではないでしょうか。
長くなったのでここで区切ります。
次で終わりです。
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