ドラマ「何かおかしい2」第7話「ほんもの」について考察・感想
ドラマ「何かおかしい2」第7話「ほんもの」
ネタバレあります。
冒頭から異様な雰囲気に飲み込まれました。過酷な演出と峻烈な復讐劇は芸道を進む者の業のようなものを帯び、畏怖という意味での人間の恐ろしさを目の当たりにした気がします。
前回あたりから、ゲストの背負う背景や事情に謎が多くなった気がします。峯岸作さんの目指す「ほんものの芝居」とは。高宮エリカさんの身に何があったのか。2人の関係はどう変化していったのか。それらをメインに私なりに考えたことを書いていきます。
結論を先に書くと、
・峯岸作さんが求めるのは自分自身さえ本気と信じ込んでしまうほど、心から為される演技。
・高宮エリカさんの求める「ほんもの」は自らが当事者となり、演技ではなく本気で行動すること。
・峯岸さんは気鋭で奇抜な演出家を演じており、ハラスメントもその一環。MineToo運動は自らを関係者に告発してもらいたいが故に始めた。
・高宮さんは峯岸さんとの演劇観の違いから袂を分かった。後遺症は精神的なもの。
・オガミサマの復讐は上村さんと花岡さんが高宮さんに持ち掛けて、高宮さんは役として引き受けた。
ひとつひとつ見ていきます。
①峯岸作さんにとっての「ほんものの芝居」
「ほんもの」という言葉や「その道、走る、ワタシ」で高宮さんが本当に骨折しているらしいことから、峯岸さんは演技ではない本物の感情と言動を求めているような印象を受けます。
しかし、そうだとすると矛盾が多い。
「私はほんものの芝居しか信じない」という劇団員への言葉。芝居は作り物です。つまり信じているのは本物の演技。決して現実ではないのです。
ミネメソッド。感情を次々に切り替える訓練です。本物の感情を求めるなら、峯岸さんがその場で役者を怒らせたり喜ばせたりしなくてはならないことになります。
ボール投げの芝居も「球が見える」なんて言わずに本物のボールを投げ合えばいい。ラジオ放送中の「砂漠で遭難しているところに水のボトルが現れた」即興芝居にしても、峯岸さんに遭難経験はないはずです。
演技は過去の自らの体験や想像から、行動や感情を再現したり創出したりするもの。峯岸さんは今まさに自分がその役と同じ状況に置かれているかのような芝居を求めている。自分自身すら、自己と役との区別がつかなくなるくらいに。ただし、あくまで自分≠役。それがほんものの「芝居」。
②峯岸さん自身の「ほんものの芝居」
峯岸さんはエキセントリックな演出家というキャラを演じているのではないでしょうか。峯岸さんの言動は変わり者の天才のステレオタイプで、どこか芝居がかっています。
なんでそんなことをしているのかはわかりません。憧れがあったのか、メディアで目立つからなのか、周囲の期待ゆえか。ただ、上の「ほんものの芝居」の考え方を当てはめると、今の峯岸さんにキャラを演じている意識はないかもしれません。
③峯岸さんによる過剰な演出とハラスメント
峯岸さんがパワハラに手を染めた理由は3つ考えられます。
1つ目は、劇団員にさまざまな感情を味わわせてほんものの芝居に昇華させるため。
経験やエモーションは演技の糧になります。峯岸さんは敢えて劇団員の心を揺さぶって、想像と演技の幅を広げようとしたのかもしれません。
2つ目は、奇抜な演出家というイメージのため。変わった人を見ると、もっと突飛なことをしてくれないかと期待してしまうのが人情。そんな期待に応えるうちにエスカレートしていってしまったのではないでしょうか。
劇団を立ち上げたばかりの頃は、さほど過激なことはしていなかったはずです。もししていたら、誰もついてこないでしょう。
3つ目は、劇団員に自分を憎ませるため。峯岸さんは「ほんものの芝居しか信じない」と言っています。額面通りに受け取ると、峯岸さんについてきている人の中で心酔している人は信じられないことになります。
逆に峯岸さんを憎みながらネームバリューと実力のために仕方なく従っている人、峯岸さんに心酔している演技をしている人こそ信頼できる。だから峯岸さん自身が劇団員たちを信じるために、憎まれる必要があった。
④MineToo運動の真意
MineToo運動は峯岸さんが業界のハラスメント撲滅のために始めたそうです。MeToo運動とどこが違うのでしょうか。
Mineはドラマ内でミネと読まれています。MeToo運動のMeはハラスメント被害者達を指します。でも峯岸さんは業界人側。ミネ・トゥーだと「峯岸もハラスメントをしている」となります。
もしMineを英語のマインと捉えると、「私のものも」。つまり「峯岸さんの劇団メンバーがハラスメントを受けている」という意味になります。
峯岸さんは自分の演出行為がパワハラにあたるとわかっており、告発されることを望んでいたのではないでしょうか。
峯岸さんのMineToo運動のツイート、2通りの読み方ができるようになっています。
1つ目はハラスメント被害者への呼びかけ。MeToo運動と同じですね。素直な読み方です。ツイートに言葉を補うと、こうなります。
「(被害者自身が)声を上げることが被害者救済の一歩。演劇界のみんなも声を上げていこう。私もそうだって(= 自分も被害者だって)。#MineToo運動で(ハラスメントを告発する)勇気をもらうことができた。私(=峯岸作)はもう(ハラスメント撲滅に協力する)準備ができている。(ハラスメントに)目を背けるのはやめだ。(ハラスメント被害を)ガマンすることで次の被害者を生むんだ。」
2つ目はハラスメントをしている側として、告発されようとしているという解釈。うがった読み方です。ツイートに言葉を補ってみます。
「(加害者自身が)声を上げる(=懺悔する)ことが被害者救済の一歩。演劇界のみんなも声を上げていこう。私もそうだって(=自分も加害者だって)。#MineToo運動で(罰を受ける)勇気をもらうことができた。私(=峯岸作)はもう(糾弾される)準備ができている。(自らのハラスメントに)目を背けるのはやめだ。(罪悪感や違和感を)ガマンすることで次の被害者を生むんだ」
自分の行為がパワハラに当たると気付くところまではあり得るとして、なぜ告発を望むのでしょう。明るみに出れば演出家生命を絶たれかねないのに。
峯岸さんは、最後まで過激な演出家であろうとしたのではないでしょうか。世相的に自分の行為もアウトであると知るも、自ら謝罪したり揉み消しに奔走したりすれば特異な天才のイメージを壊してしまう。
ほんものの芝居を信奉するものとして奇抜な演出家を演じている以上、それに相応しい末路を辿りたかったのでは。
関係者が毎回酷い目に遭うオビナマに敢えて出演したのも、復讐を期待してのことと仮定すると筋が通ります。もしかしたら河園監督の失脚を見て、最後の覚悟を決めたのかもしれません。
⑤高宮エリカさんにとっての「ほんもの」
峯岸さんがあくまで芝居を求めたのに対して、高宮さんは当事者になろうとしていたのだと考えます。
役のために体型や髪型を変えたりしてキャラクターに自己を同化させる。そうすることで、自分の自然な振る舞いがキャラクターそのものの仕草となる。自分=役。つまり演技の意識なく、行動全てが演技として見られるようになる。
⑥峯岸さんと高宮さんの演劇観の違い
峯岸さんと高宮さんは、芝居のために多くを犠牲にできる点で共通しており、故に結びついたと推察されます。
しかしあくまで峯岸さんが演じる(自分ではないものを想像して再現する)のを重視したのに対して、高宮さんは役に自分を物理的に重ねようとしました。2人が袂を分かった原因はその辺にあるのではないでしょうか。
⑦峯岸さんが高宮さんの腕を折った?
峯岸さんが高宮さんの腕を折っているような動画がオビナマ放送中にリークされてきましたが、あれは誰が何のために撮影したのでしょう。
カメラを仕掛けたのが高宮さんなら、腕まで犠牲にせず普段の異常な稽古風景を公開すれば十分。他に撮影者がいたとしても、あの動画を公開せず保存しておく理由がない。
加えて、誰も高宮さんがその時に本当に骨折したか確認できていません。もしかしたら峯岸さんは痛みを与えるため、折れない程度に高宮さんの腕を傷つけただけかもしれない。
リーク動画は練習も兼ねた単なるお芝居だったのでは。つまり峯岸さんは高宮さんの腕を折っていない。
⑧高宮さんが骨折した原因
高宮さんは自ら役作りのために腕を折ったのだと考えます。
過去の伝説から、高宮さんは役作りのために体重をコントロールしたり髪を剃ったりしていたようです。腕くらい、折ってもおかしくない。
骨折りを高宮さん自身がやったとすると、峯岸さんとの訣別も説明がつきます。峯岸さんは演技、つまり当事者でない人がそのキャラクターになりきることを求める。しかし高宮さんは骨折により当事者になってしまった。
生活習慣や髪型を変えるくらいなら良くても、骨までは峯岸さんも見過ごせなかった。高宮さんは峯岸さんに喜んでもらえると思ってやったのに、却って嫌がられてしまった。2人ともストイックなので喧嘩別れになっても不思議ではありません。
⑨高宮さんが復讐に来た理由
雨穴さんが「過剰な演出の後遺症で女優生命を絶たれたから」と説明しています。これは無条件で真実として扱うことにします。
女優生命が絶たれるほどの後遺症とは何だったのでしょう。
流れからすると腕の障害が真っ先に浮かびますが、オガミサマを演じている高宮さんの腕は問題なく動いているように見えます。本人にしか感じられないものはあるのかもしれませんが、天才カルト女優とまで言われた高宮さんならクリアできるのでは。
それに、オガミサマはちゃんと演じられています。女優生命が絶たれたはずなのに、どうして?
後遺症とは、身体ではなく精神的なものだったのではないでしょうか。
神様とまで慕っていた峯岸さんと対立し、高宮さん流の役作りを禁じられたり批判されたりして不安定になった。そして別れた後も峯岸さんの言動が忘れられず、思うような芝居ができなくなってしまった。故に女優生命が絶たれた。
⑩失踪後の高宮さん何をしていたのか
地方の小劇場での目撃情報がSNSに複数上がっています。そこで細々と出演して糊口を凌いでいたものと推測されます。
天才に似合わずちまちまと活動していたのは、役作りのための過激なエピソードのせいで大手から敬遠されたからでは。
⑪なぜこのタイミングで復讐に来たか
花岡さんの無差別なサーチに高宮さんが引っかかる → 調べるうちに峯岸さんの異常な演出を知る → 上村さんと協力して高宮さんに復讐を持ちかける、という流れが想像されます。
峯岸さんも高宮さんも過去のヤラセ番組とは無関係なので、2人のいざこざに気づいたのは上村さんではなく、ゴシップなら何でもござれの花岡さんだと推察されます。
リハーサル中に不安がる高宮さんへ、誰かが「大丈夫、協力者もいるんで」と答えています。話し方とトーンから、声の主は花岡さんでしょう。ここからも2人の繋がりが窺えます。
自身のチャンネルで暴露しなかったのは、より劇的な演出をするため。花岡さんも自称演出家です。
稽古の隠し撮り映像や高宮さんのインタビューではやや弱い。峯岸さんは下世話な動画チャンネルのゲストになんか来てくれそうにない。
だから花岡さんは上村さんを誘った。2人にはもともと交流があるようです。内山さんを構成作家として上村さんに紹介したのも花岡さんですし。オビナマと連携すれば、自身の動画チャンネルの宣伝にもなります。
計画には高宮さんの協力も必要です。でもただの暴露では承諾してくれそうにない。だからオガミサマを使うことを提案した。演じるために生きているような高宮さんは、新たな役を喜んで引き受けた。
高宮さんが復讐心を抱いたのは、この瞬間かもしれません。高宮さん自身の気持ちとしてではなく「復讐を企ててオガミサマに扮する高宮さん」役として。
⑫復讐を受けた峯岸さんが笑っていた理由
初見ではわからなかったのですが、復讐シーンの笑い声が2人分聞こえるとのツイートを見て確かめたところ、確かに声が2つ重なっているようでした。
また、その場面で今岡さんが「何で笑ってるんだ、あの女」と発言しています。復讐に成功した高宮さんが笑うのは何らおかしくない。あの女とは峯岸さんを指していると推察されます。
峯岸さんはなぜ笑っていたのでしょう。理由は2つ挙げられます。
1つ目は、念願叶って稀代の演出家に相応しい劇的な末路を迎えることができたから。峯岸さんが失脚を望んでいたことは前述の通りです。
2つ目は、高宮さんが峯岸さん流の「ほんものの芝居」をしていたから。
オガミサマになるには数年の修行が必要らしいです(ネットの付け焼き刃知識)。峯岸さんへ復讐したいならわざわざオガミサマになる必要はありません。高宮さんは本物のオガミサマではなかったと思われます。
つまり高宮さんはこの時、本物のオガミサマ(当事者)になることなくオガミサマを演じていた。峯岸さんの持論に高宮さんが与したことになります。
信奉した「ほんものの芝居」で、かつての同胞により最高の幕引きを得た。だから峯岸さんは歓喜して笑わずにはいられなかった。
峯岸作という名前ですが「峯岸 作」と空白を入れて表記すると、「峯岸が作った(作者:峯岸)」のように見えますね。尖った演出家としての姿も今回の復讐劇も、全て峯岸さんの掌の上だったのかもしれません。
長くなりましたが、お付き合いありがとうございました。
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