生きることは人を傷つける側面をもつ
生きるって、ある意味人やいろんなものを傷つけていると言えると思うのです。私は自分の周りにいる人を大切にしたい気持ちがあるのに、気づかないで人の心を傷つけていたし、今もそうだし。それからまだ確実に捉えられてない認識があって、何度も「やってしまった」と思わせてくれるものがあります。
「言えない」を敢えて「言う」や「口に出す」ことをするようになってから、客観的に自分自身を見つめられるようになり、自分の言葉や私の周りの環境の力が自分自身を見る視点を与えてくれた。環境という視点を持つことができた私は、今、本当に人の気持ちに寄り添いたい思いがある。
自分を規定しないようにしたいけれど、私は人を傷つけている側面を無視できない。「言えない」と思っていたけれど、その反対にものすごく言っている&お喋りな自覚。さらに気遣いよりその場が楽しい自分勝手な会話をしていることに今本当に気づいたって話です。うー、本当に…心がどんよりするっていうか、内側を見つめろよって言われていることを思います。
自分を見つめる…瞑想。
…逃げていたように瞑想をしていなかったけれど…。やるといつも…ハッと気づくとうとうとしてる…。速攻寝られる特技のような面が災いしているのか?ただ単にやる気がないのか?やる時間と場所を変えたらいいだけか?そのうち試してみます。…といって試したやつはいるのか?とか、バカなことを書いとります。ちょっとずつでも見つめていこう。
人を傷つけたい思いを持っている訳ではない。
ひとつひとつ自分を見つけていくしか方法はない。そこをすっ飛ばして何かを得られることなんてひとつもない。
人の心に寄り添う…それは、私にとって大変なことなのかもしれないし、そうでもないことなのかもしれない。今でもやっていることもある。でも考えて行う必要があることでもある。
動いていこう。
そんな感じ。
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