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宗教や信仰についての雑記 #53

◯向社会性

前回、ある集団内に問題があったとしても、自浄作用がはたらかないことの要因として向社会性ということを挙げました。

向社会性とは、外的な報酬を期待することなく自由意思から他者に恩恵を与えようとする性質のことで、そこにはオキシトシンというホルモンが関わっているそうです。
オキシトシン受容体の遺伝子にはいくつかのタイプがあり、その内の向社会性を高くするタイプの遺伝子の頻度が、日本人は欧米諸国よりも高くなっているそうです。

そこには稲作文化や、台風や地震などの自然災害の多さが要因としてあるのではないかとも言われています。
手間のかかる農作業や非常事態のときには、皆が団結して事にあたる必要があります。それにより自然淘汰がはたらき、向社会性が高くなったと考えられているようです。

しかしそのことは一方で、小さな集団中内でも高い向社会性がはたらき、その集団内の人々が互いに配慮し合うことで外部への配慮が疎かになる状況をも生み出します。
それが結果的に、その集団外の人々への被害や抑圧をもたらしてしまうのともあるようです。

日本人は合理的な判断ができないという批判がしばしば聞かれます。私もかつてはそんなふうに思っていたのですが、どうやらそうでもないようだと思うようになりました。
合理的な判断はできるのだけど、高い向社会性に阻まれて、それが行動に繋がらないのが現実なのでしょう。

何かトラブルや問題が生じたとき、我々は感情的に反応するのではなく、そこには当事者個人の特性だけでなく状況の影響もあること、そしてときには、日本人の高い向社会性という遺伝的な傾向が関わってくることを、考慮しなければならないのでしょう。

でもだからといって、個人の責任を問わなくてもいいということにはなりません。
そのことについてはまた、次回にしたいと思います。

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