猿島歴史ラボ2022#1 猿島との出会い


現在私は神奈川県、横須賀にある猿島という無人島に関する歴史を調べるラボに参加している。
そんなラボの参加理由である、初めて訪れた時の私の気持ちについて下につずっていこうと思う。

私が猿島を初めて訪れたのは確か小学校の5年生だっただろうか。
それ以前存在のみぞ知ってはいたが猿島という印象的な猿のイメージしか無かった。
小5の時私はとある活動で猿島を訪れることとなった。
そこでは海と関わり、ボランテイアと遊びを兼ねた貴重な体験ができた。
そんな活動の一環として私は猿島を訪れた。

猿島に行くには当たり前だが船に乗る必要がある。
その日は太陽が差し、晴れていたのを今でも覚えている。
船から見た海は太陽陽の光を反射し、いっそう綺麗に感じた。
だが当時の私にとってそれを序の口と言っていいほどその後に感じたことは私の心に深く刻み込まれている。

そこはまるで非現実的な世界だった。
そこは島という形で日常から隔離されていた。
そこでは人生で数えることしか感じることができなかったものを感じられた。

ディズニーランドに行くとそこには現実はない。
ゲートに入る前そこには現実がある。
だがゲートをくぐればたちまちそこには非現実がある、そんな感覚だった。
そこには現実を忘れられるほどの興奮があったのだ。

船を降りるとそこには桟橋がかかっている。
その橋には看板ががかかり「sarushima」っとローマ字でかかれている。
そんな橋を渡ると夏のBBQなどに向いた施設が並ぶ、ここまではディズニーでいうところ現実と非現実が混ざるワールドバザールのようで、そこを訪れるだけでは島の1も語ることができない、そんな気がした。
そう、この島の最もの魅力はこの奥にこそにあり、多分永遠に100に至らないほどの魅力がここにはあると感じた。

当時まだ学校では歴史を学んでいた訳では無かったが、姉の影響で歴史に興味が生まれてはいた。
そんな中その島を訪れたのだ、当時の私にとってその島は飢えた狼に肉を与えた、そんな気分だった。
優しく言えば猫にまたたびと言ったところだろうが、そんな訳で猿島の歴史的な部分を見た途端、私はそれを舐め回すような勢いで見漁った。
レンガ作りの建物、あちらこちらに開く意図的に開けられた穴の数々…
名前のきっかけや、戦争との関わり、猿島の役割…
そんな一つ一つが私にしっぽを振ってきた。

だが、私を惹きつけたのは何も歴史だけではなかった。
猿島に多く生える植物たち、そんな植物と建物の間に差し込む光たち、そして猿島から見える海の景色の数々、その一つ一つが私の心を猿島という一つの島への興味をより一層高めた。

それが私と猿島との出会いだった。

まあその後訪れる機会もそんなに無く深ぼる機会も薄かった。
だがそんな中、高校生に上がり猿島と関わるチャンスがやってきた。
学校の先生の紹介で猿島のラボについて知ることとなったのだ。
それに当時の私の心を惹きつけた歴史という分野がそこにはあった。
機会こそなかったものの猿島への愛情と、非現実に対しての好奇心、そして横須賀の一部である猿島を盛り上げたい、そんな意思が心の中にはまだ残っていた。
そんな心を再度焚き付けたのがトライアングルラボの話しだった。
その日のほんの数分で私は参加を決め、現在に至る。

私は永遠に100を知ることはできないのだろう、それはどんなことにも言える。
それでも100にできるだけ近づけるよう0.01ずつでも近づいていきたい、そこ知れぬ興味と好奇心という二つの矛で。

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