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牛窓神社(うしまどじんじゃ)

今回は私が行って良かった所を紹介しようと思います。牛窓神社は、岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓にある神社です。

パワースポットとして知られる牛窓神社。
牛窓海水浴場の横にある鳥居をくぐり石段を登って行くと、牛窓の地の土地の神霊と代々世々の祖先の神霊を祀った東備の鎮守・牛窓神社が鎮座しています。
交通安全, 厄除け, 安産, 家内安全, 縁結び等のご利益があるそうです。
参道途中には、日本のエーゲ海と言われている牛窓の海が一望できる展望台があり、絶景で気分リフレッシュできます。

鳥居の先には長〜い石段が続いていきます。
この石段は364段あるそうです。
本堂
拝殿
二礼二拍手一礼
展望台からの景色もまた絶景で、
美しい海が眼下に広がります。

由緒

 当社は原初の頃は、土地の神霊及び氏の祖先の神霊をまつっており、牛窓明神と呼ばれていたが、長和年間、教円大徳によって豊前(大分県)の宇佐八幡宮から応神天皇・神功皇后・武内宿禰命・比賣大神の御神霊をお迎えして牛窓八幡宮となり、明治6年郷社に列せられ牛窓神社と改称した。
 社伝によれば、鎌倉・室町時代の山城国男山八幡宮(石清水八幡宮)の古文書に「牛窓別宮」の名があり、当時牛窓が石清水領であったと共に社格が大変高かったようである。神階は従三位、式外社、備前国古社128社の内の1社にして明治6年郷社に、明治42年神饌幣帛料供進神社に、昭和15年県社に、それぞれに列せられたが、終戦と共に社格は廃止された。
 弘治元年(1555)芸州の乱の時、海賊の焼打ちに遭い、全山を焼失し、社殿、宝物、記録等全てを失った。
 当時、牛窓は内海帆船時代であり、交通運輸の重要港に成長し、藩の政治、住民の経済力の増加を背景に、神社に対する信仰心も高まった。 
 江戸時代、特に寛政、文化の頃から境内を拡大し、社容を整えた。特に本殿は近世の社寺建築の粋を凝らしたもので、牛窓町の重要文化財に指定されている。
 尚、当社の例祭は、毎年10月第4日曜日に行われ、神輿やダンジリの巡幸など港町の風情溢れる祭り絵巻が終日堪能できる。

神道とは?

氏神様うじがみさまと氏子うじこ

氏神様は、皆さんが住んでいる地域を守る神さま=神社です。
古くは同じ一族=氏族がおまつりしていた神さまを氏神と申し上げましたが、後に主として地域の守り神=鎮守さまを意味するようになりました。氏神さまに守られている地域の人々すべてを氏子といい、住所によって氏神・氏子の関係が定まっています。
神社では例祭を始め、年間執行される恒例のお祭りには申し出の有無に拘わらず氏子の皆様方の安泰を大神様にご祈念申し上げております。これらは神社の本来の祭祀の基本であり、またその神社を支えるのが氏子の皆様という訳です。

近年では信仰の自由ということで、氏神意識が薄れ一宗教として神社を捉えがちですが、神社の創始は宗教という言葉すらなかった時代、その地域の村落の形成期に遡り、共同体としての文化を継承しているものであり、個人救済の宗教とは教義が異なっております。

私たち日本人の祖先は、氏神さまへの感謝と祈りを生活の中心に据え、いろいろな役目を分担しながら毎年のお祭りを行うことで村=地域共同体の和を保ち、村づくり=地域の発展のために努力してきたのです。

産土神うぶすながみ

自分の生まれた土地を守護する神のことで、その地に生まれた人を産子(ウブコ)といいます。産土とは、生まれた土地・本拠の意味です。民族を通じて結びつく神社と人との関係が氏神と氏子であり、土地を媒介として結びつくのが産土神です。しかし、今日では氏神も産土神も鎮守神も同じような意味で扱われています。


住所 岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓2147
電話 0869-34-5197(牛窓神社)
【アクセス】
車:岡山ブルーライン邑久ICから約15分
電車:JR邑久駅からタクシー約20分

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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