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水に溶いた絵の具で、生命感を味わっていた

何を描くかという問題はさておいて
絵筆を握っている私は
言葉にしがたい思いに届こうとして
ひたすら手を動かし
色を見つめていたのでした
いくら絵の具にたくさんの色があっても、違う
混ぜても重ねても違う
何かが違う

次第に私は目に見えるかたちを
上手に描くのではなく
色を見つめながら
深く深く心の中におりていって
手を伸ばしても伸ばしても
届かない思いのかたちを
求めるようになっていました

色って何なんだろう
化学の実験室で
学校の研究室で
部活のアトリエで
社会人になっても写真だったり
印刷だったりと色に関わる場所を選んで
さまよっていました

機会が巡ってきてキルト作りを始めても
やはり、色の問題は消えません
かえって、絵の具のように混ぜたり薄めたりできない
布の色を扱うのは難しく思われました
無難な配色を心がけて
ひたすら丁寧に作業をすることで
素朴で誠実なキルト作りを心がけましたが
やはり、色のことは気になります

どうして私はこんなに色のことが
気になるのかもよくわからないのです
1998年から1999年ごろの
キルト専門誌のキルトジャパンで
染織家の志村ふくみさんの
美しい写真と随筆が連載されました

染色とは草木から命の色を糸にうつすことであると
志村ふくみさんはいいます

なにか、このあたりに..…
何かがありそうだと感じるけれど
はっきり落ちてこない答え

1999年3月のことでした。
犬と毎日歩いている公園で
桜の木の剪定が始まりました
花好きの散歩仲間と
つぼみの膨らみかけた桜の枝を一抱えも持ち帰り
部屋の中に活けて
少し早い桜を楽しみながら
志村ふくみさんの随筆を思い出しました

桜や梅の色を頂くには、花が咲く前の枝を使う

まだ雪の残る公園から持ってきた枝の桜は
かげりを帯びた淡い淡い色で
命が絶たれた悲しみを表しているようで
花を眺めながらまた心が重くなっていくのです

改めて、公園の桜の木の下に立って
待ち遠しい春を思っていると
突然、木の姿がくっきりと見えてきて
立ちすくんでしまいました

根は大地をつかみ、養分を吸い上げ幹を通り
枝を通って空に向かって
エネルギーのようなものを
放出しているように見えたのです

その時はじめて、志村ふくみさんの言葉を
理解できたような気がしました
桜の命が花となって咲くために
エネルギーのようなものを幹や枝に蓄えている
それを生糸に移すことが染色なのだ
色は木や花の命を抱いているのか

そこで、私の長年の疑問が解けました
私は絵の具を含ませた筆を動かしながら
「生命感」を味わっていたのです
たったそれだけのことに気付くのに
何十年かかったやら

ニ三日は嬉しくてボーっと
ある種の天啓ともいえそうな
気付きに興奮していました

でも、甘くはありませんでした
その、色に生命感を感じている私は
自分の作るキルトに
生命感を抱いた色を与えられるのだろうか

苦悩が具体的になっただけなのか
まったく、しょうもない
不思議と心は軽く
からっぼな感じになってしまいました

丁度、その時期に、私は妊娠をしていました
追い求めた色の生命感が
新しい命を授けてくれたのでしょうか
まさか
以来、苦悩は減りもせず増えもせず
布や絵筆を手にする私を鞭打ちます

色は命を映している

その色を
その色を私は....…



                          

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