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「君の膵臓をたべたい」を読んで

名前に「数学と読書」と入ってあるのに数学の話ばっかりだったから読書の方も...

今更ながらですが住野よるさんの「君の膵臓をたべたい」を読んだ。その感想を書いていきたい。


まず思ったことは色々あるがこの本を読んで私は号泣した。本当に涙が止まらず泣いたまま1時間以上(計3時間以上)かけて読んだ。
そして学ぶことが多かった。


一日の価値は全部一緒

桜良に対して主人公は残り時間が少ないのに好きなことをしないの?といったことを言う。その後の桜良の発言だ。

私も君も、もしかしたら明日死ぬかもしれないのにさ。そういう意味では私も君も変わんないよ、きっと。一日の価値は全部一緒なんだから、何をしたかの差なんかで今日の価値は変わらないよ。

「君の膵臓をたべたい」より

幸いなことに私の記憶の限りでは身近な人が亡くなったりしたということは今のところない。
そして私自身もまだ学生で若いということもあり「命とは永遠のものなのではないか?」と錯覚してしまっていたのではないかと思う。
でも実際は「いつそのような不幸が起こるかは分からない」もちろん起こって欲しくないが人間の命は有限であるがゆえそれは仕方のないこと。

私は今日を満足して生きることができただろうか。
少し前に前期の反省をした時にも思ったが「絶対に満足するような生き方を出来ていない「と断言できる。そしてそれは「明日がある」と思っているからに他ならないのではないか?と感じた。

余命1年の人もなにもない健康体の人も一日は同じ24時間で同じ価値を持つ。

ここで考えてみる。私は現在健康なので後者だとして、前者の人に声をかけるなら?
「病院で検査したところあと余命1年と言われまして...」と相談を受けたら?

色々な回答が考えられると思うが私はベタだが、「残り1年好きなことをしよ!」と言ったことを言うのだと思う。
だがよく考えるとその前者は自分自身に置き換えることもできる。それが「一日の価値は全部一緒」の意味することだと思った。

確かに健康体の人があと50年生きるとして、この1年で貯金を全て使い果たすのはあまりにもリスクが大きすぎるのは当たり前だ。

だがそこまでしなくとも例えば気分転換のために散歩に行ってみたり、旅行に行ってみたり、久しぶりの友達にLINEしてみたり。
昨日の自分より1ミリでも幸せになれて、今日は楽しかった!と言えるようになれば十分だと思った。そしてそうなろうと強く思った。

何気なく話している家族、友達、先生。
また明日〜!と安易にいうが会ったその1回1回に感謝をするべきなんだと思った。

いいなぁ、私も大学とか行きたかったなぁ

読み返しても涙が出てくるフレーズだ。
これも桜良の発言だ。

現在大学生の私からするとこの言葉はすごく響く。
それは先程も書いたように私は前期を無駄に過ごしてしまったからだ。
別に桜良のような理由だけでなく金銭的な面などで大学進学を諦めるしかない人もいる。私の身近にもそういった人はいる。

そして「私も大学行きたかった」と言う。
私は幸いなことに大学に通わせてもらっているが何も出来ていなかったのではないかと思う。
確かに私は講義を1度たりとも無断欠席をしたことがない。だが全休や休日はYouTubeを見てだらだらしてバイトをする。
これじゃ大学に行きたくても行けなかった人の気持ちを踏み躙るようだ。
これが当たり前だと思わず生き方を変えていきたいと本当に思う。
YouTubeなんかで一日が終わったらつまらない。より良く生きろ。

私が、本当は死ぬのがめちゃくちゃ怖いって言ったら、どうする?

これも桜良の発言だ。
この本を読んでいると桜良はとても明るく笑顔で元気で、余命宣告されていることを忘れてしまいそうになる。
だがそんな桜良でもやっぱり怖いと思っていたんだ。と当たり前の事ながら忘れかけていたことが蘇ってきたようだった。
そして私は言葉を失った。
私ならどうする?

まず私が桜良の立場ならこれは本音で、何か意見を聞きたいな〜といった意味で発言すると思う。
次に主人公の立場でこの発言を受けたら。
まず本音であることは間違いないと思うだろうが、何もしてあげられなさそうに思う。
そしてただ恐ろしくて震えてしまうのかなとも思った。

違うよ、偶然じゃない。

違うよ。偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。(中略)
君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ。

「君の膵臓をたべたい」より

これは私が今の大学に行ったのも、高校に行ったのも、それは私の選択。そこに相手もそのような選択をしただけ。でもそれは偶然ではなく、自ら選んできたものだ。といった意味だろうか。
それなら私はとても共感できた。

今の友達があるのも偶然じゃなくてお互いの選択。当たり前だと思っていたが改めて説明されるとすごいことだと思う。

文系、理系、友達と遊ぶ遊ばない、部活やサークルに入る入らない、バイトをするしない。
これらは基本的に自分の意思で選択できるものだ。そしてどちらが良いというのは一概にはきまらないことだと思う。ただ確実なのは「自分が少なくとも今、幸せだと思える方」を選択するのが良いということ。そしてそれらの積み重ねが今の自分自身なのかなと思う。

君にとって、生きるっていうのは、どういうこと?

生きるってのはね

きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して生きるって呼ぶんだよ。

誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをふる、誰かとすれ違う。それが生きる。

「君の膵臓をたべたい」より

これは本当にその通りだと思った。
誰かを嫌いになる、鬱陶しいなんてマイナスなイメージでさえ、私が生きているから生ずるものに他ならない。

さて、私が思う生きるとはなんだろうと考えてみた。
でも「生きる」ことが当たり前のように思えて何も浮かばなかった。だが確かなことは「誰かと」ということが私は抜けていた。
私は気が合う友人もいるし、主人公とは違うぞ!なんて思っていた。だがそうでは無かったのかもしれない。
私はこの桜良の発言を大切にしていきたいと思う。

通り魔事件

私は(というか大半の人は)病気で桜良は亡くなってしまうのだろうと思っていた(はず...)
だが実際は通り魔事件に巻き込まれてしまって亡くなってしまった。
私は最初意味が分からなかった。
確かに最初にそのような伏線はあった。
でもあんまりではないか?と思った。
なんか後味が悪いな、、と。

でもよくよく考えるとその考えはある意味で間違えだった。
おそらく作者が伝えたかったことは私が上手く言葉にするのは難しいが
「やっぱり明日が必ずあるわけではない」
ということではないかと思う。

甘えていた。

誰しもの明日が保証されていないという事実をはきちがえていた。

「君の膵臓をたべたい」より

ここをもう一度読んだときに確信に変わった。
レビューなどを読むと「病死はありきたりすぎるから他のものと差がつかない」といったものもあった。確かにこれも一理あるのかもしれない。小説を多くは読んでこなかった私ですらこの展開を予想していたのだから。
でもそれ以上に「病死だと明日が保証されてしまっているという印象を与えてしまう」という考えがあったのではと思った。
だからあえてそうでない、突然の例を出したのだろうと。
そう考えるとこの展開は納得がいった。
そしてそう考えて以下の文章を見返した。

彼女は、僕に死ぬ時を教えるという約束をやぶった。

最初読んだ時は何気ない1文だと思っていた。
そら亡くなったんだから約束を果たせないでしょ、と。

でも違った。

明日がないかもしれないということを桜良も考えていなかったから。だから結果として破るということになってしまったんだろうと。
語彙力のない私にはどう表現すれば良いか分からないがとりあえずそう思った。

(スケッチ的に書くと)桜良は本来は約束をやぶるつもりは微塵も無かったのだろうと思う。
共病文庫にあそこまで主人公のことを良く書いているのだから。
だが2人ともにとって予測してないことが起こった。だから結果として破ることになってしまったと。
そしてそれはその後の主人公の本を返せない発言も同様だと思った。

君の膵臓をたべたい、そして総括

人に食べてもらうと魂がその人の中で生き続けるっていう...

「君の膵臓をたべたい」より

序盤に出てくるこの何気ない発言が最後にとても重要になってくるというのはとても面白かった。

この章で総括も一緒にやってしまうと

まず読んだことがない人にとってはこの題名が全く意味の分からないものどころか「たべたい」なんてやばそうじゃない?という印象すら植えてしまうのではないか?と思った。

私は双葉文庫のもので読んだがこれは2017が初版でそれが家にあるわけだが、今は2023年で6年も読まなかったことになる。
それは別に時間が無かったからではなく、読んでみたいという気持ちはあったのだが、なんとなく避けてしまっていたところがあった。

だがそれは間違いだった。
すぐにでも読むべき一冊だったなと反省。
「膵臓をたべたい」の意味が分かると題名なんて別になんてことない素晴らしい本だった。

そしてたくさん泣いて泣いて、多くのことを学べた。
普段は数式でかさ増ししても4000字なんて行くことはないのに、今回は引用こそあれど4000字近く書いている。
それだけ心に響く本だったと改めて認識させられる。
ありがとう。

あとがき的なやつ

いつものあとがき的なやつで、正直そんなに書くことはないが一応。

この本は上の通り様々な要素があるが一番は

桜良が主人公に「生きる」ことを教えること。
そして桜良自身も成長すること。

だと思う。
さて、このように相互に成長するというのは異性同性関係なくよくあることだと思う。
確かに人生観をガラッと変えるキッカケになるか?と言われればそうでないことが多いだろうが、少なくともそのようなこともあり得ると思う。

私はこの本を読み終えて様々な人の感想を見させていただいた。
その中でこの本は現実的じゃない!といった感想を述べていた人がいた。
あまり読書をしない私からすれば小説ってそんなものが多いと思っていたからある意味で衝撃だった。

だが実際誰かと自分の意思による選択によって出会い、自分の考え方が変わる。というのは先ほど述べたようにあり得る話だと思う。

そしてその相手(に限らずだが)との関係は永遠と思いがちだ。
そこにこの本はそうじゃないよ。と言ってくれているとも思えないだろうか。

つまりそれは
「誰しもが明日が保証されていないという事実を履き違えていませんか?」という作者なりの知らせかなと思った。

結論はよくあるありきたりのものになってしまった、、笑

とりあえず。
この本の言葉を肝に銘じて今日を1ミリだけでも楽しく過ごしたい。


ここまで約4500字長々と読んでくださりありがとうございました。
拙い文章で読みづらいところや意味の分からないところもたくさんあったと思いますが、ご許しください。

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