鉄紺の朝 #25
追求 その3
黒瓦、漆喰、柿渋、白黒の築地塀に沿って、細い溝が掘られ、御影石の橋が、門と往来をつないでいる。真砂土の路面が白く光り、往来を行く人々を黒く影にしていた。
影となった往来の人々に紛れ、道場へと歩いている梓草志郎に、影となった別の男が近寄り、
「振り返るな」
背後から、いきなり、命令口調。
「立ち止まるな、そのまま歩き続けろ」
「・・・おまえ・・・」
と、背後から気配が消えた。
梓が背中に手を回すと、袴の腰板に、折畳まれた、半紙一枚が捩じ込まれていた。それを何気なく抜き取り、懐に忍ばせた。
その日、道場の帰り道、梓草志郎は河口近く、藩の御船蔵や、渡し舟が出ているあたり、洲に松林が連なった中の一本にもたれかかって、舟の往来を眺めていた。
「待たせた」
松陰から、朝、梓の背後に近づいた男が現れた。
「お前、生きていたのか、皆死んだものとばかり思っておるぞ」
「この通り」
背筋を正し、梓の正面に立ったのは、紛れもなく、須賀太一であった。
須賀太一と梓草志郎は同い年で、八橋道場へ通いだしたのも同じ年の、幼馴染みである。
「俺は死んでいたのほうが、俺も動き易かったので、そのまま放っておいた」
梓は「ハハハッ、死人のお前が動いていたんだな」笑った。
「それにしても、朝、梓が歩いていたのには驚いたよ、江戸にいたお前が何故こっちに?まあ、俺にとっては、最高の助っ人が現れたと、願ってもないことだったがな」
「お前の所為だ。江戸から帰ってすぐに、お前が居なくなったと聞かされた。それでこちらが手薄だと言われ、俺が手を挙げてやって来た」
ご苦労様と須賀は梓に頭を下げた。
「それなら、俺が藩に、いや、脇田のおっさんに、形の上で、どうされたか知っているんだな」
――須賀太一と脇田頼人が重ノ木村へ、調査へ行き、翌日帰ってきたのは、脇田一人であった。
脇田によると、先に重ノ木村に入った二人は、ひっくり返った舟が、浜に打ち上げられていたという理由で、舟で沖を調査中に波に攫われて、転覆したとされた。須賀太一は、断崖に足を踏み外し、岩場を落ち、海に消えたとされた。両件とも不慮の事故と処理された。
周囲のほとんどが、その稚拙な報告に疑いを持ったが、特に嫌疑をかけられる事もなく、藩の公式な見解として扱われた。――
「詳しくは知らんが、江戸から帰った俺に、蒼吾先生が、藩によると須賀君が死んだことになったと教えてくれた。しかし、八橋道場としては、須賀くんはまだ生きていると考えるので、葬儀は出さないが、公に藩の見解を否定すると面倒なので、このまま様子を見ると言われておった。話にはでないが、蒼辰先生も同じ考えだろう」
「俺って、不死身だと思われているんだな」
「ハハッ、それもあるかもしれんが、藩の報告書が余りにも稚拙で、信じるに値しないと見抜かれたんだな」
「鋭いな・・・いろいろ聞きたいことはあるが」須賀は、渡し舟の方に顎をしゃくり、梓にそちらを向かせて「ご登場だ」待ち人来るといった感じで言った。
渡し舟に、体格の立派な男が乗り込もうとしていた。
「今、舟に乗り込もうとしている、あのでかい男が脇田だ。まあ、言わば俺を殺した張本人だ」
須賀は、然も楽しそうに脇田を紹介した。
「お前を殺した奴を、何故生かしておる。とっとと始末すれば良いものを。死んだお前が殺したって、お上も幽霊は裁けんだろう」
梓は、真顔で須賀を見たが、瞳の奥は笑っていた。
「うまいことを言うなあ」須賀は感心してみせた。「どのみち脇田は、蜥蜴の尻尾だ。あいつ一人を切ったところで、蜥蜴自体は何の影響も受けない。余分なものを切ってくれてありがとう、としか思われんよ」
「で、蜥蜴は誰か分かっているのか?」
須賀は首を振り、
「梓草志郎の役目だ」
勝手に役を振り分けた。
「では、まだ蜥蜴が誰かわかっていないので、俺に調べろという事か」
今度は首を縦に振った須賀は
「さすが、物分りが良い」と微笑んだ。
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