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鉄紺の朝 #34

嵐の前

 八つ刻、松の木陰に腰を下ろし、浜で子供たちが相撲を取るのを見ていた梓草志郎の足元に、松ぼっくりが落ちた。見上げた先に須賀太一が立っていた。
 「俺たち、ああやって相撲を取らなくなったな」
 「久しぶりにやるか」
 と立ち上がった梓に、須賀も「負けはせぬ」と袴の裾をたくし上げ、四つに組んだ。
 いつの間にか、子供たちも須賀と梓を遠目にみている。
 「負けろ」
 「そちらこそ負けろ」
 ならばと、須賀は投げをうってきた。必死にこらえた梓だったが、二人は供になだれ込み、浜に肩から落ち、そのまま空を見上げ、大の字になった。
 「いい勝負でした」
 二人に影を落とし、見下ろすように一角が立っていた。
 「見られておったか」須賀が、上半身を起こして、梓に一角を紹介した。
 舟が浜にあり、三人がそれへ乗り込み、一角は沖へと漕ぎ出した。
 「どこへ連れて行く気だ」
 「壁に耳あり障子になんとやらだ、ここなら落ち着いて話ができる」
 ちらと、一角に視線を送った梓に、須賀が気付き、
 「一角さんなら心配ない、この人と出会わなければ、俺はずっと脇田に殺されたままだった。ね、一角さん」
 一角は頬を緩めた。
 「ところで、その脇田のおっさん大丈夫か?」
 須賀が、梓に聞いてきた。
 「いきなり、そんな事を聞くなんて、随分とお人好しだな」
 「少々、物騒な噂を聞いたからな」
 「地獄耳だな」
 梓は呆れたようにつぶやいて、続けた。
 「確かに、脇田は殺されていた。蜥蜴が誰かつかむために、少々小細工をしたら、まんまとそれに乗っかってきて、椋野様という家老の屋敷へと入っていった。八橋先生にそれを報せたら、もう一度様子を見てこいと言われ引き返したら、案の定既に切られていた。恐らく、椋野様が口封じの為に切らせたに違いない」
 「ということは、椋野様が首謀?」
 須賀は梓と自身に問いかけた。
 「彼一人ではない。そこで、これが役に立つ」
 梓が懐から一冊の帳面を取り出し、
 「脇田が最期の力を振り絞って、伸ばした指の先にこれが隠されていた。脇田の置き土産だ」
 須賀に手渡した。
 一枚ずつめくる須賀が、食い入るように文字を追い始めた。
 「几帳面な脇田のおっさんらしい。全てが書いてある」
 それは、脇田が最期に手に取ろうと、藻掻いていて指さした先にあった引き出しの奥に仕舞い込まれていたものを、梓が持ち去ってきたものであった。日々の事が記されてる、脇田の日記なのだが、そこには誰彼との密談、依頼内容、賂をいくら届けたとか、それは微に入り細を穿った物であった。
 「多分、こんなお宝が眠っていたとは、向こうも知らないはずだ。脇田と俺たち以外はな。」
 梓の言葉に、「ああ」と相槌を打ちながら、尚も見入っていた須賀が、
 「こちらで、手を出せないところは、八橋先生に任せたほうが良いな」
 と、話が政治的に上層部にまで及んでいる事に触れた。
 「消された脇田もこれで意趣返しが出来て、本望だろう」
 「俺も、脇田のおっさんに殺されたことを、これでチャラにしてやるか」
 須賀が、では次は俺の話だと、梓に向いた。
 「今日の六つ刻に福路村の庄屋、伊佐衛門宅に、俺を殺そうと、皆々様お越しになる手筈になった」
 「いよいよ、須賀太一が生きていると、ばれたのか」
 「いや自分から、ばらした」
 「随分大胆な」
 一角はゆっくりと櫓を漕いでいる。
 「ほら、ずっと向こうに、海から切り立った崖が続いているのがみえるだろう。手前の、半島じゃないぞ、もっと向こうの、岩肌を見せている山がある場所だ」
 須賀は、黄砂に霞む海の先を指さした。
 「あの山は、初背山でその麓に毘沙門平という、千早城がある」
 「城?」
 梓は怪訝な表情になった。
 「実際に城があるわけではない。楠公の籠城した千早城の如くな要害があるということを言ったんだ。海からはあの崖、上は岩山、とてもおいそれと近づけない。踏み込みようがない。そこで、生きている俺の出番だ。こちらから行けないとなると、向こうから来てもらうしかないからな。伊佐衛門殿のところに、お春さんという娘がいて、そこへ昨晩、俺が忍び込んだ。勿論、伊佐衛門殿が見張っているのを承知のうえだ。そこで、明日の六つ刻にまた会いに来ると、言い残して消えてみた。案の定、伊佐衛門殿はどこかへそれを伝えに出て行かれた」
 「お前を殺すために、山を降りてこいと伝えに走ったんだな」
 「まあ、そうだろう、敵は衆を頼んでくるであろうが、こちらはそうはいかない。俺と、お前、それから、一角さんだけだ」
 櫓を漕ぎながら、一角は
 「任せてください」と、梓をみた。
 「一角さんは、舟で待機しておいてもらうことになるので、実際にあの家へ行くのは俺と、お前の二人だ。やってくれるか」
 須賀はいつになく真面目な表情で梓を見た。
 「当たり前だ」
 舟は一度城下へと戻り、梓は脇田の残した日記帳を八橋蒼辰に届けるために、舟を降りた。

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