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鉄紺の朝 #24

追求 その2

 …闇の彼方に薄ぼんやりとした微かな光。それが消えかかりそうになるたびに、墨黒とした海の深淵から手をのばし光を掴もうともがいた…
 須賀はたしかにその目に光を感じていた。
 体をもたげようと四肢に力を入れたところ激痛が走り、呻き声が漏れた。
 「気付かれたか」
 どこからか年配女性の声。天井を見つめる須賀の眼前に影になった顔が現れた。
 「よう頑張られたのう」
 状況が飲み込めない須賀は、しばらくその顔を見上げて聞いた。
 「ここは」
 「島じゃよ」年配の女性が答える。
 「島?」
 「そうじゃよ、何もわからんのも無理はなかろう。沖を流されていた舟から、ここに運び込んでのう、それが昨日のことじゃ、それから丸一日ずっと眠っておられたのじゃから」
 須賀の脳裏に雨の重ノ木村から海へと逃げ、舟にしがみついていたことが蘇ってきた。
 「そうでしたか、助けていただいたのか、、かたじけない」
 そう言って頭だけを僅かに持ち上げ、礼をした。
 「いや、舟から助けたのはせがれの一角じゃ。その後にこの小屋に運び込んで、わしに世話を頼んで、出掛けおったが、そろそろ帰ってくる頃じゃろう」
 「そうでしたか、重ね重ね痛み入ります」
 一角の母はそれに応えるように頷き、
 「粥をこさえて来るから」と言って小屋を出て行った。
 須賀太一は己の置かれている場所を認識しようとあらためて目を自らと周りに向けてみた。体には晒がぐるりと巻いてある。筵の上に帆布が敷いてあり、その上に寝かされ、一枚の布団がかけられてた。板張りの天井と壁からは所々光が漏れていて、小屋の中をぼんやりと輝かせていた。黒く影になった一艘の船があるところを見るとここは船小屋なのだろうか。もう少し辺りを見ようと痛む体を、恐る恐る、徐々に起こそうともがいていたところへ、一角が入ってきた。
 「まだ無理をなさらないほうが」
 一角が須賀の動きを見て、駆け寄り、もどかしく動いている須賀に手を貸し、上半身を起こしてやった。
 「どうも」と一揖して「あなたが、一角さん」と尋ねた。
 「ええ」
 「私を助けていただいたそうで、なんとお礼を申していいのか…」
 一角は礼には及ばないと言いながら、懐から貝殻を器にした赤茶けた軟膏を取り出し、須賀をうつ伏せに寝かせ、肩口から背中にかけて一直線に延びている傷に沿って塗り始めた。
 「この傷はどこで」
 傷の具合を確かめるように、軟膏を塗りながら一角が訊いた。
 「・・・」
 須賀は答えに窮した。僅かの間ではあるが一角の実直さはひしと感じつつも、藩の命で動いている手前、おいそれと理由を明かすわけにもいかない、須賀太一は逡巡したが、一角はそれ以上の問いかけはしないまま、傷を隠すように晒を身体に巻きつけていった。ようやくそれを巻き終わる頃一角の母が湯気をたてた鍋を提げて小屋に入って来て、須賀の横に腰を下ろし、「一つ聞いてもよいか」と椀を須賀に渡しながら問いかけた。
 「ええ」
 「あなたは重ノ木村の事をお調べになっておられたのではなかろうか」
 「・・・」無言は否定にはならない。
 「やはり、そうであろう。実はな、娘がその重ノ木村に嫁いでおったんじゃが、ある日、娘も婿も孫も村の皆が消えてしもうた。その事を調べておったんであろう」
 これ以上自らの素性を明かさないのは、愚である。手に持ったお椀を脇に置いて一息入れ、話し始めた。
 「仰る通り。私は名を須賀太一といい、もとは、藩の剣術指南役である、渓燕流師範、八橋蒼辰の補佐として、師範代をしておりましたが、臨時の改役を与えられ、重ノ木村を探っておりました」今まで、内密にして申し訳ないと言い足した。
 「そのようなお方が、こんな怪我を…一角は刀傷だと言っておったが、その傷はいったいどうされた。重ノ木村で負われたのか」先程よりもいっそう大きな声で須賀に近寄った。
 頷く須賀に両手を預けすがるような格好で
 「ああ、やはりあの娘は、あの子は、この世にはもうおらんのか」嗚咽と共に吐き出すような声をあげた。
 「ちょっと待ってください」須賀は困ったように一角とその母の両方に落ち着くように言った。
 「娘さんはきっと生きています」更に落ち着くようにとゆっくりと諭すように言った。
 「気休めは結構じゃ。あなたのような剣の師範ともあるおかたが手負いになるようなところで、娘が生きておろうはずはなかろう」須賀に詰問調で迫った。
 そこから須賀は、一角親子に重ノ木村へ行くことになった理由や、傷を負った経緯を話し、背中の傷と娘さんが生きていないことは決して結びつかない事を、切々と説いた。そう言う須賀太一にも彼女らが生きているとい確証の欠片すら持ちあわせてはいなかったが、殺されてはいないという、直感的な臭いは重ノ木村で感じていた。
 須賀のいうことに渋々納得した体で一角の母が小屋を出た後に一角が申し訳なさそうな面持ちで、
 「おふくろの事、すみません。須賀さんを責めたところで、どうにもならないのはわかっているんでしょうが、年寄りだと思って許してやってください」
 「許すもなにも…娘さんを思ってのこと。私のほうこそ、村の事を仔細に調べ終えていれば…」
 須賀も許しを請うように、頭を垂れた。
 一転、一角が明るい表情で
 「須賀さん、歩けますか」声を弾ませた。
 その声にのせられたように「おそらく」と痛む体を徐々に動かし、一角に手助けされながら立ち上がり、覚束ない足取りで小屋を一歩出た。
 松林の中にある小屋の足元は芝草に囲まれその先には小さな浜があり、朝の光を白くまぶされた海は水道で、向こうに浮かび上がる山塊が春の黄砂か、おぼろに霞んでいた。
 しばらくその景色にみとれ立っていた須賀を、軒下に積まれた厚板に腰を下ろすように誘った一角が、問わず語りに、まるで海にでも話しかけるように語りはじめた。
 「あそこが、重ノ木村」海の向こう、入江の奥に、集落が固まっているあたりを指さし、「人が消えた村にしては、舟の出入が頻繁にある」さらに東のほうを指して「岩肌が剥き出された、あの山が、初背山」重ノ木村の裏から続く山塊で、須賀のいる島から見て、一番遠くに霞み聳えていた。「海岸は切立った崖が、その先の岬を越して続いている」海からは断崖がその山を取り巻くように続いていた。「初背山とその崖に挟まれているのが、だだっ広い草地の毘沙門平」
 一角はそこで須賀を向いて
 「陸に居て分からないことも、海から見れば手に取るように分かる事もあります」
 意味ありげに言い、さらに続けた。
 「毘沙門平は、古来より天然の要害、険路が一本あるだけで、簡単には人を寄せ付けなかったのに、あれから幾筋もの炊ぎの煙が立ち上っている」
 「つまり、人が住み着いたと?」
 「しかも、重ノ木から人が消えた頃から」
 「何故そのような事を」
 須賀太一は訝った。
 「おふくろが娘のことを気遣うように、私にとってもたった一人の妹。同じように気にかかります。妹がいなくなったと聞いたあの日、重ノ木村の様子を探ってみようと、まず近くの村に行き話を聞いてみたりしたんですが、皆そのことについては歯切れが悪く、これといった収穫もありませんでした。それから重ノ木村に舟で向かい沖合から村が見えた折、誰もいなくなったはずの村に人影がありました。人が集まり固まって見えていたところでキラリと光が走り、そのうちの一人が倒れ、更にもう一人。人が切られたんだという事はこの私にも分かったので驚いて、逃げるように舟を返し、妹の運命を思い、力なく座りこんで泣きました。そんな時にふと見上げた先に立ち昇る煙に気づいたんです。初めは火事かと見間違えたんですがどうも様子が違う。それからあの辺りの事が気になって朝晩と注視していました」
 二人の先、霞んだ水道を帆船が心地よく風を受けて波を切っている。それを目で追いながら一角は続けた。
 「舟ひとつをとっても、毘沙門平の辺りを行き交うのが目につくようになる、これはもう人の往来があるとしか思えない。誰かが暮らしているとしか思えない。半ば諦めていた妹はもしかして、あそこに連れて行かれ、生きているのではないかという、一縷の望みが湧いて来ました。親父やおふくろにも妹はきっと生きているから安心しろと、、、」言葉をつまらせた一角は腰をかけている板から転び落ちるようにして地面に膝をつき「お願いです」と叩頭し「妹を、妹を、助けてやってください」と呻くように発した言葉はまっすぐ須賀を射た。
 その日からしばらく、須賀太一は日がな一日海を眺めていた。一角の言うように、毘沙門平の下、断崖の切れ目になった部分から、舟が出入を繰り返していた。それらは、重ノ木村へ何かを運んでいるものもあれば、その辺りを警戒しているような舟もあった。
 「重ノ木村は、入江になっていて、水深もかなりあるので、そこそこ大きい舟も入っていけます。あそこが荷揚げの中継地で、小さい舟で毘沙門平から荷を持って行き、廻船のような大きい舟でそれを荷揚げするんです」
 一角は、推測だと付け加えながらも、そのような舟があの近くを航行していたのを見たとも言った。
 「そして、それを馬関から、大坂などへ持って売り捌く寸法になっているはず」
 「十分考えられる話しだ。ところで、一角さんは何を売り捌こうとしていると思われますか」
 「そこまでは・・・」
 一角とて分からない事もあるのである。
 「そうだ、あそこの村は?」
 重ノ木村から、西へ行ったところにある集落を指した。
 「福路村です」
 須賀は毘沙門平から出た一艘の舟がそこへ入っていくのを見ていた。
 ― 福路村か、お春はどうしているだろうか、俺が死んだと信じているだろうか
 傷が充分癒えるのを待って、須賀太一は、城下まで舟で送ってもらい、一角に何かを言い含めて別れた。 

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