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糸電話のひと

一人息子の大学受験塾選び

  • 糸電話で友達と話したのは小3か4の理科の実験で、どんな事を話したのか既に覚えていない。ただ、あっっっっ!と大声で叫ぶと、糸がぶるっと震えて繰り返し小さく微動したのを今でも覚えている。その度に耳が熱を帯び痒くなった。つい最近そんな思いをした。とても熱く今でも胸に迫ってくる。

  • ・・・いえ、学校の成績を上げたいわけではなくて、評定はいいんです。小テストも一度も落としたことがないと担任からは聞いてます。

  • ・・・はい。模試の結果も悪くって。滑り止めに考えていた県内の私文でさえ危うくなって・・・どうしようかと。・・・はい、指定校推薦はありません。スポーツ推薦ならありますがトップチームにいないと難しいと聞いてます。なので行きたい人は総体後勉強頑張って一般で受かってます。今年も法学部に1人受かってますが、私が知ってる情報はその生徒だけで他にいると思います。

  • ・・・はい、一般では国語と英語、社会か数学ですが、まだどちらかわからなくて。とりあえず学校推薦で受けようと思ってますが、ダメだったら一般でも受けます、受かっている生徒はみんな一般です。・・・選択科目の社会、数学どちらを選ぶかわかりません。・・・はい、理系にいますが、経済学部を受けるので文転になります。

  • ではとりあえず英語と数学を体験で受けましょうかね。・・・どこでウチを知りましたか?

  • 幼馴染のK君と私が知っているM君です。合格体験記を読んで懐かしい気持ちになりました。他にも数名いるんですよ・・・と話した。・・・はい、おっしゃる通りでM君は違う高校です。私がよく知っている子なんですよ。合格したとこがびっくりしまして、彼のキャラからは考えられなくってちょっと笑ってしまったんですよ。・・・推薦だからそうですよね、成績は上位だったと私も思います。そんな会話から塾の方も、彼は人に見せないけどとてもまじめと思っているに違いない。私も同じだ。オモシロキャラから僅かににじみ出る真面目で努力家なM君。

K君

息子が生まれてから小学校に上がるまでの6年間豚小屋みたいな、昭和を彷彿とされる長屋で過ごした。ここのお子様方はとても快活で親しみやすかった。私が学校勤務とわかっても相変わらずバカにしてきた。だけど私もバカにしていたwバカしあうのが楽しかったw

 夕方になるとウンコ取りじいさんがはつらつと犬の散歩をしている。Mちゃんと話していると、あのじいさん、犬の散歩しながらいっつもウンコ取ってんの。だからみんなからウンコ取りじいさんと呼ばれているんだよ。このじいさんを私はほぼ毎日見かけた。今はもうひょっとしたら鬼籍に入っているかもしれない。

 夏にはウシガエルの鳴き声がこだまし、ナイトツアーなるものをやった。一度墓の前を通った時は街灯もなくて息子はこわがっているのかよーわからんがとても喜んでいた。

 いつも公園でキャッチボールやサッカーをした。時々鬼ごっこもした。息子を背中に負ぶっている時に近所の子達と鬼ごっこをしていたので、ガンガン振り回される息子をみて、ママさん達は元気なお母さんが引っ越してきたと噂していたそうだ。

春、夏、秋は子ども達みんなで、夜空を見上げた。一定の速度で動く星がある。子ども達はみんな、ね、〇〇君のおかあさんUFOでしょ?と聞いてくる。私は一番年長者さんのMちゃんに、いやあれ違うよね、衛星だよねと確認する。Mちゃんはうんそう。さすがね、〇〇君のおかーさん!とほめそやしてくれるw
 空を見渡すとオリオン座が位置していた。もうすぐ冬が到来する。金木犀もやがてかれて今ほど匂わなくなるだろう。
冬特有の匂いがする。焦げ臭いにおい。この匂いが空気に漂えば、冬はそこまできている。

その数年後、私は小学校の近いところに引っ越した。更に田舎。ここには今もすんでいる。中堅所得者向けの市営住宅だ。でも来年早々に私の実家近くに引っ越す。

 その後K君が絵が上手でいつも特選とか県知事賞とかもっとそれより上の賞を取ったりしているとある人から教えてもらった。団地に住んでいる時はそんな話は聞いたことがなくかなりびっくりした。その後彼は前期試験で公立の美術コースに通ったと聞いた。
 大学も国公立で芸術学部に進学した。昔団地に住んでいた時はママさんからうちのこ勉強できないと言っていたのに、国公立ってすごい。塾の方にきいても評定も低かったけど、とても頑張ったしこちらもガンガンやりましたよ、と話してくれた。もう、彼は我が県にはいない・・・親御さんは近くに家買ってすんでるけど。
 みんなで見た空、毎日一緒に行った地元の温泉、ウンコ取りじいさん、公園・・・二度と戻らない時間。私が体験することがなかった家と家、他人と他人をつなぐ交流。この住宅は住民がいなくなり次第解体されるのだという。

M君

 M君が通っていたのは兎高校といって兎まみれの高校だw我が県は公立4高といって、偏差値の高い高校がある。兎高校は4高に準じた偏差値の高い高校になる。
 私が2年の発達障害の生徒の支援のため入った普通クラスにMはいた。発達障害の生徒は、雨雲レーダーを一日中見ていても飽きない。そしていつも、雨、風、が強い日に外に出て、傘をさして手を差し出している。雨の感触を手のひらで感じ、風を感じる時は両手を前につきだし手を広げて一心に風を受けている。初めみたとき、どっかの新興宗教の教祖様かと思ったくらいだwそしていつも天を仰いでいた。
 そんな彼を最初は面白がっていたが、だんだんMの研究対象になったようだ。なぜ雨が好きなのか、なぜ風を感じたいのか、暴風雨の時でさえ、外に出たがるのはなぜなのか。彼には俺らが見えていない何かが見えているのか。何を感じているのか。Mが一瞬だけどじっと彼を観察しているのを何度か私も目撃した。
 彼が困ったときは、〇〇君こっちだよ、とか、色々声を掛けてくれて本当に嬉しかった。普通学級の生徒と支援学級の生徒をつなぐのは永久の課題だし、M君のような生徒がいてくれるととても安心する。
 一言でいうとMはチャラ男。人にはそう見えるだろう。だけど、私や塾の方は人には見せないとても真面目な性格だということを知っている。広大理学部数学科も学校から勧められたという。
 推薦で受けるのでプレゼン(模擬授業?)以外は塾で対策したという。プレゼンは学校でするからと言っていて、仲間数人と放課後残って練習していたらしい。時々先生がついてアドバイスはあっただろうと思う。だけどそれを聞いて、あっ、プレゼンの合間に、間違いなく数学の教師のものまね大会やってますねwみんなで笑い合ってる姿がみえるわーwwwと言うと、塾の方も、あっわかります?はいわかります、そういう子なんですよねwと言い合って電話を切った。

糸電話のあとで・・・

 K君やM君のことを考えると本当にたくさんの思い出が蘇ってくる。K君は私のプライベートに関り、M君は仕事で関わった生徒。
 K君は引っ越した後も自転車で制服着た姿を何度も見かけていてその都度手を振ってくれた。高校卒業後は見ないのは当然だと思っていたけどまさか広島にいったとは思わなかった・・・でも芸術学部なんて彼らしいや。
 M君なんて卒業の時でさえ話していない、というか全く記憶に残っていない。彼が3年の時何組で誰と仲良かったのかそんな事さえ知らない。Mだけではないけど、大学受験を知らない私は、どーせ県内のどっかの大学にすすむのだろうと高を括っていた。要は数年の時を経て、居酒屋でバイトしていたり、焼肉屋でバイトしていたりと店員と客としてバッタリ会う事がある。
でも偏差値の高い高校ほど県外に行き地元の大学にはいかない。 
・・・もうM君にもK君にも会えない・・・2人とも広島へ行ってしまった・・・卒業したとて地元に戻ってくるのかさえわからない。受話器を置いて私はへなへなと座り込んでしまった。沢山の思いがこみ上げてくる。次第に視界は歪み、熱いものが頬を伝う。ありがとうと言えなかった、そして卒業という節目にちゃんと別れられなかったのは私の方ではなかったのか・・・私は声を上げて泣いてしまった。


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