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一年経っての 想い

 2023年1月のある寒い朝 それは、起こりました。
いつもの朝 窓に向かって 大きく伸びをして 今日のお弁当は、卵焼きにしようかな?ゆで卵に?と 振り返ると 夫の様子が おかしい!

うそ!!!なんで?冗談やめてや!
なんかとてつもない どっきり???
夫は 亡くなりました。突然死 昨日まで 普通に元気にしてて 会食から上機嫌で そんなに 呑んでなく 「おい 紙袋出してくれや タクシーの運転手さんに みかんをあげるから」「喜んでもらった」などなどしばらく二人でたわいもない会話 「早よ 寝よよ」それが最期の言葉となりました。それが 最期と知らず…

お葬式が終わり 何日かして 本当の一人暮らしが はじまりました。
洗濯物も一人分 ごはんも ひとり
夜になって ただいまと 帰ってきそうで
そこに居たのに…
夜は 何回も目が覚め 苦しんだじゃないだろうか?
もっと こういうように してたら 後悔の波が押し寄せてきて
パジャマも寝汗で ぐっしょり
さすがに ダイエットになりました。この頃は

でも
日々食べて 話して 少し笑って 少し忘れて
そして
旅に出て どこかにいるんじゃないか?
でも
いなかった…

大丈夫?と聞かれ大丈夫じゃない と言えなかった
だから よく 元気そうで 安心したと言われました。

確かに どこか俯瞰した自分もいました。
私って こんな時 涙出ない方なんです。

私って 夫なしでは 生きられないと常々思い 空気のような安心感のなかで 日々 過ごしてました。
でも でも 夫が この世から いなくなるが 分かってたみたいに
不思議なことだなと 思うことがいっぱい

亡くなるとわかってたみたいに 日々穏やかに 暮らしました。
亡くなるとわかってたみたいに 黒柳さんの番組で 山村美智さんがお話されてた 7秒間のハグが気になり 出張に行く朝 「飛行機が落ちたら いけんけんね!」と 7秒?3秒?一瞬ハグして
シャイな夫は、精一杯の笑顔の ニッと返してくれました。
亡くなるまでの半年間で 何回
か実行できたのは、山村美智さんと黒柳徹子さんの お陰でした!

亡くなるとわかってたみたいに荒井由実さんのひこうき雲をなぜか気になり口ずさんだなあ
亡くなるとわかってたみたいに #voicyo小川奈緒の家が好きになるラジオに出会い 千葉県のご自宅のワークショップに快く?送り出してもらい 沢山の縁側リスナーさんと出会い 2022年8月からInstagramといううものに投稿までするようになってました!
そのお陰で 今では 貴重な御宝写真 動画が残ってます。
亡くなるとわかってたみたいに 58歳からピアノ教室にも通わせてもらい
いろんな仲間と出会い繋がり 40年来のママ友たち 元職場の仲間たち 親戚や地域の人たち 幼馴染 旧友たち SNSでの大切な仲間たちに囲まれ
いつも いつも見えない力で支えてくれてます。
まるで私が寂しくならないように わかってたように

結婚して 毎晩の晩酌と さもない料理を囲んだ食卓での 会話
それが日々重ねてきた私たちの絆
食後の散歩も ぼつりぼつりと 真っ暗な里山の道を歩くのも ほっとする時間でした。

人って 経験して初めてわかるし もちろん私も 想像でしかわからない事でした。
人の温かさが より一層感じるようになりました。

1年を迎える頃 #死別で知り合った二人の友人に出会いました。思う事が一緒で 状況が 似通って このことも 不思議
大きな勇気を
いただいてます。

1年経って想う事
悲しみ 夫がいない事実 いつも いつも 心の中にあります。

それが、だんだん 夫と過ごした思い出が 心の引き出しにいっぱいあります。
後悔 寂しい が
今まで生きてくれて ありがとう
私を お嫁さんにしてくれて ありがとう
そして 貴方と私の子供たちを 残してくれてありがとう
66歳まで生ききってくれて ありがとうに変わりました。

夫は 会話の中で「わしが死んだら この想いと魂はどうなるんだろう?」とそして「そう言うこという人に限って 長生きするものよ」と私の返しに
「わしは 100まで生きるぞ」と言ってたね!

夫の想いと魂は、ちゃんと私が 子供たちが お嫁さんが お婿さんが
孫たちが 受け継いでますよ!
木の落ち葉が次の芽を育てるように そして仕事で出会った沢山の人達の心に 想いを残した夫を誇りに想い前を向いて 進みます。

何も出来ない私ですが 肩肘張らず ちょっとだけひとりでできる事も増えてますよ!
すこやかに 貴方の好きなこの家 この風景を大事に 過ごせるよう 日々精進します。
 












 







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