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ご神水

「ご一緒に山へ登りませんか?」

そう声をかけてくれたのは親しくしている神主の方だった。日ごろから修行を兼ねた山登りの体験談を楽しく聞いていた。

大小問わず山のもつ威厳はそれぞれに違う。訪れるごとに見せる空気も景色も異なるのだそうだ。年のせいか話を伺いながら、自然の壮大さが魅せる景色に興味深くうなずく私。ふと思わず声をかけたくなったのかもしれない。

雨上がりの朝。神主さんの車で奈良県桜井市にある大神神社のご神体である三輪山へ向かう。緑豊かな盆地を眺めながら進んでいくと山裾に広がった雲間から強い陽射しが差し込んでいた。照らされた円錐形の山が見える。

大神神社の参道を通り、登拝の入り口に立つ。高さは467メートルと初心者でも登れる山ではあるが果たして体力が持つだろうか。

少しぬかるんだ道を一歩ずつ踏みしめて登っていく。行き交う人を見て驚いた。裸足の人がいる。

「山自体が『神宿るご神体』として崇められているためにあえて靴を履かない人もいます」

そう言った神主さんは思ったより軽装で、私と同じ運動靴を履いていた。少しホッとした。

見上げると太陽の光を遮るように木々から伸びた緑の葉が重なる。自然の大樹に覆われる山の植物たちは、すべて一木一草に神宿るものとして尊ばれているという。川のせせらぎが聞こえた先に目をやると、水面に反射していた日差しが美しく輝いて見えた。

だんだん狭い道となり、目の前の一段ずつの段差がきつくて息があがる。降りてきた人と登る人が譲り合わなければならないほど幅はきつい。ちょっと立ち止まって休む場所もないのは辛かった。

ようやく山頂に着いた。注連縄に祀られた巨大な岩石に近づこうとしたその時、私に異変が起こった。身体中が痺れるのだ。電気が走ったように鋭くヒリつく感覚。こわばった身をよじるようにして声を出した。

「身体が痺れませんか?皆さんは大丈夫?」と問うと神主の方は敬虔な面持ちで答えた。

「手先が少し痺れる程度です。お告げのある人には、それ以上の体感が感じられるかもしれませんね」

お告げ、と聞いた瞬間に私の中で“思う道を行け”という言葉が流れこんできた。

心臓の高鳴りがおさまらず、身体を吞み込む勢いでドクンドクンと鼓動が波打つ。こんな体験をしたのは生まれて初めて。思わず逃げるように下山をしていた。   

出口付近には、崇高なご神体を流れる神水をいただける場所があり、コップに注いで一気に飲んだ。冷たく柔らかな水は身体の緊張をほぐしてくれた。すると耳の後ろでリーンリーンリーンと鈴らしき音が三回鳴った。振り返ると誰もいない。とても優しい音色だった。神主に聞くと、それはお褒めであり賛辞をくださった証ではないか、という。なぜかその言葉が素直に心に響いた。来るべくしてここへ来たのだ、と腑に落ちたからだった。   

すべてが摩訶不思議の出来事が続いた後、日常に戻った私は心機一転し転職をした。新しい仕事を始めて十年の今日に至る。そして年に一度、感謝の気持ちをもって御神水をいただきに三輪山へと今も向かうのだ。

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