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ラーメン越しの私の5年間


未就学児のママ達と今何が食べたいかと言う話をすると、みんなたいていおんなじものが出てくる。
居酒屋でビールと焼き鳥、カウンターでお寿司、ゆっくりフレンチのコース料理。。

大体こんな感じのものが出てくるが、けど、ダントツにでてくるのがラーメンである。
しかも有名なチェーン店のではなく、近所では評判だけども狭くて、カウンターしかなくて、とてもじゃないがベビーカーでは入れないようなラーメン屋さん。
子供産まれる前はよくあそこのラーメン屋行ったわー、みたいな感じで話に花が咲く。

私自身ラーメンは好きだが、独身時代にそんなに頻繁に行っていたか、と言うとそうではない。
けど、しばらく食べてなかったら食べたくなる。ここのラーメンの味が好きとかいう好みもある。
ラーメンというのは、マニアの人でなくてもみんなそんな認識があるんじゃないだろうか。さすが国民食である。

そんな私であるが、一年前に久々一人でラーメンを食べることを決行した。

その日は下の子の育休が終わりを迎え、慣らし保育が数日過ぎた日であった。

久々一人でランチに行ける。けど、いつ保育園からお呼ばれコールが鳴るか分からないから近所でさっと食べれるのがいいな。
そういえばママ友とラーメン食べたいって言い合ってたな。よし、久々ラーメン行こう。

そんな具合で自転車に乗って、私と主人がかつて好きだった近所のラーメン屋さんに行った。

12時前であるのに人も何人か並んでおり、私は仕事の合間でありそうなスーツを着たおじさんの前に並んだ。
20代の頃は一人でラーメン屋さんに行くなんて勇気がいる行為だったが、今となっては何が恥ずかしいんだか、隙あれば行きたいくらいなのに、というくらいの心持ちになっていた。
年齢を重ねることと、ライフステージの変換はこんなにも人を変えさせてくれる。

列に並んで待っている間。
そういえば最後にこのラーメン屋行ったのいつだっけな、とふと思った。
そしてその直後、私はハッとした。
最後にここのラーメンを食べた日。
その日は、私にとって人生で1番最悪な日だったからである。


その日は妊婦検診の日で、いつものように診察台でお腹の赤ちゃんの様子を診てもらっていた。

いつも通りの流れで検診を受けていたが、常に流暢に説明してくれる先生の声がその日は止まった。
そしてその後、ちょっと診察台から降りて話をしましょうと言われた。

私はその時に嫌な予感がした。
そして、その予感は的中し、先生からは赤ちゃんの心拍の確認ができないと言われた。

私はその時自分の心臓がドンッと撃たれた感覚と、それと同時に涙があふれた。
先生は慣れたような手つきでそっとティッシュを用意し、「私たちはまだ諦めたわけじゃないから、もう一度また診察に来て」と言われた。
けど、私はもう赤ちゃんは生きてないんだなと思った。

そのあと急いで家に帰り、出かけていた夫にLINEで連絡した。
夫の返信は「マジか」「なんで」と一言返信があった。
その後すぐに夫から電話があったが、何を話したかは覚えていない。
その後母親に電話した。泣きながら電話をしたら、電話越しで母親も泣き出したので、少しスーッと冷静になれた。

それから夫が帰ってきたので、少し話をした。
呆然としながら、ポツポツと話していたと思うが、病院で先生から受けた話をただただ説明していたと思う。

その後、夫との話がひと通り終わった後に、夫がポツリと「とりあえず、なんか食べに行こか」と言った。
そういえば、もうお昼過ぎ。
私は「じゃあ、ラーメン屋さん行こうか」と言い、
そうして、私達は例のラーメン屋さんに足を運んだ。

その日もお店は混んでいて、少し並んで待った。
待っている間は他愛もない話をしたり、深刻な話になったりもしたと思う。

そんな落ち着かない気持ちのなか、私たちは好きなラーメンをそれぞれ注文した。

30分くらい待っただろうか、カウンター越しから「おまちどうさま!」と威勢の良い声で店主がラーメンを手渡してくれた。
私は一口、ラーメンを口に運ぶ。

その時、

「おいしいね」

思わず言葉がでた。

こんな気持ちでもおいしいものはおいしいと感じるんだな、と思った。
そして、そのあと、いつもご飯を食べる時はお腹の中の子においしいね、と言いながら食べていた事を思い出して悲しくなった。

そんなことを思いながらまた一口、口に運ぶ。
やっぱりラーメンはおいしかった。
夫が「こっちのも食べてみる?」と言い、自分のラーメンを私に分けてくれた。
私も自分の分を夫に分けた。

食べ終わった後も、
「やっぱりおいしかったね」
「うん、おいしかったね」
と夫と言いあって帰った。

それからであるが、もうそれはそれは大変な日々を過ごした。
流産が本格的に断定され、手術をし、術後は体調が優れない日も続き、仕事を休んだ。
そしてずっとメソメソしていた。
そんな私に痺れを切らした夫と何度も言い合いにもなった。
なんとか立ち直ろうと色んな人や物に頼ったり、没頭しようとした。

そんな日々を乗り越えて、私はようやく妊娠し、喜びと安堵感に包まれたと同時に、無事にお腹の中で育ってくれるかずっと不安だった。

そして出産した後も初めての育児に右往左往し、育児のことで、夫とまたまた言い合いすることもあった。

そしてなんやかんやあって、私は今二人の母となり、そして人生最後であろう育児休暇も終わり、2度目のワーキングマザー生活へと戻っていく。

5年前、人生のどん底にいながらここでラーメンを食べていた私が、その5年後に二人の子の母となり、育児のつかの間に再びラーメンを食べにきたなんて誰が想像できようか。

5年もあれば、人生色々あるんだな。
きっとまた5年後も今では想像できない人生になっているんだろうな。
そのためにも、あの時私がもがいた状態、がよかったのかは分からないけど、とにかくこれからも、しぶとく力強く生きていこう。

そんなとことを思っているとようやくラーメンが運ばれてきて、私は5年ぶりの念願の一口を口に運んだ。

からい、、

なんと5年ぶりに食べたこのラーメンは塩辛かった。
すごくからかった。
さてはこのラーメン屋さん、味落ちたな、と思ったが、相変わらずの盛況ぶりである。

どうやら、ラーメン屋さんの味が落ちたのではなく、この5年間、子供に合わせて薄味ばかり食べていた私の舌が軟弱になっていたようである。

5年で人の舌も変わるんだから、そりゃ人生色々あるわな。そう思いながら私はお店を後にし、子供たちがいる保育園に向かった。

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