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灯りがないからクリアな星たち

誰でも、どんなものでも
本人が面白いと思ったら、面白い、で良い

今はそれが当たり前で、許容される、本当に良い時代です。

でも昔は確かに違ってたし、
今でも全てがそうではなく、個々の集団に入ると歪むことが多いです。

私は、山奥でのなんにもない暮らしと、1人で動いていたベースがあるから、
かえって単純に、キラキラ光るなにかに純粋な興味を持ち、キャッチできて来た気もします。

それを標題の、
近所の灯りがない分きれいに見えていた、子供の頃の、山奥の夜空の光景に、かけてみました。


具体的に言うと、

口ごたえはできないけれど、接する人の数が少なく多様では無い分、
他人の意見を当てはめるだけで判断できる物事があんまり無くて、
私が個として自分の視点であれこれ思い、判断していた。

遊ぶ相手がいなかった分、目の前で起こる事象やきれいなものが、強く心に残る性質になった。

パディントンみたいな生き物ですね。

集団の意味不明

集団内で起る"偏り"とかの事象には、意味が分からなくなる事が多くて困惑します。

しかし

なぜそういうふうに思い・思わせ
たかった、のか

そこにある過去の希求、人の心の底辺にある欲望の残滓みたいなのには、好奇心がわきます。
(だから奥泉さんとかみたいな、作家さんが好き)

それに、向かい合う事が、大人になった私にはできる、物事の理解の方法だと思っています。

圧迫されてきた感情も多分ある分、復讐の気配もありますが、
まずは自分の過去の思いを認識する事が、
人生の最後の最後に、何一つ被害者でなく終える為のスタートかなと
考えています。

自分の器が強すぎるのか、振ってもなかなか上手く出てこない感じはありますが、
おかげで自分が壊れずこれていて、小出しにできることに感謝しつつ、
一個一個片付けていきたいと思います。


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