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生かされるということ

人はなぜ生きているのだろうと
ふと考えることがある
生まれてから死ぬまで生きなければいけない
何なら死ぬために生きるのか?

この世にオギャーと生まれ
親やたくさんの人の力を借りて育っていくが
赤ちゃんはものすごいスピードで成長するもんだ
たった3年足らずで、寝たままだった赤ちゃんが歩けるようになり、話せるようになり、普通に食事できるようになる。
1番成長する時なんだと思う。人ってすごい。


そして、いろんな困難があって乗り越えていく。それは赤ちゃんもそうで、乗り越えて成長していき、いろんなことができるようになっていくのだと思う。
幼稚園など、他人と関わるようになるとまた、それまでとは違った困難に出会う。嫌なこともたくさんある、嫌な思いもたくさんする。
大変だ。

人との関わりは一生つきまとい、ずっと悩まされていくものだ。
時には、毎日がつらく、死んでしまいたいと思うくらいに。

私も小学3年くらいの頃、友達との関係に悩み、死にたいと嘆いていたらしい。(最近母親から聞いた)そんな記憶はすっかり消えていたが(笑)

【忘れる】という能力も、よくできたもの。
死にたいくらいに悩んだ事も、今となっては忘れてしまうのだ。
その頃の私には、それくらいに大きな出来事で深刻だったのだろうが、その後にそれらがかき消されていくくらいにいろんな事を経験してきたのだと思う。

学生時代は友達関係に常に悩まされるもの。
進路でも悩み、就職に悩み、家族や兄弟間のこと、恋愛等々〜
就職すれば、職場での上司、同僚との関係や仕事の悩み〜
結婚すれば、嫁姑、子供、夫婦関係〜
悩みは尽きないものです。

だけど、そこには【喜怒哀楽】ツライ事ばかりじゃなく、喜ばしい事も楽しく幸せな事もあるから生きて来られるんだろうな。
そして、忘れていけるんだろうな。

平々凡々と生きてきてた私は、結婚してから波瀾万丈とも言える人生を歩んできた。
嫁姑?舅問題、夫の浮気、息子の障害…
息子の事は本当に大変だった、死ぬ思いだった、殺して自分も死のうとさえ思った。
まだ、そんなさなかだった

私は脳卒中で倒れた

処置が早かったためか、ほぼ後遺症もなく、今も元気だが、目が覚めた時、ベットの周りに親、妹、夫、娘がいた時は、

「私は死ぬのか?」

と思った。

しばらくは寝たきりで、歩けない。食べるものを口に運べないような麻痺?字も書けない。口だけは達者だったけど(笑)

心の中では、(死なせてもらえなかった)と思いながら、生きていくためにリハビリをした。
息子の事もあるからと、一ヶ月で退院をし、家に戻った。

〜死なせてもらえなかった〜
私はあのまま死んでも後悔はなかった
結婚して子供産んで、孫にまで恵まれた
息子の事は心配ではあるが、私が死ぬ事で支援が受けられるだろう
けど、ダメだったのだ

〜生かされているのだ〜と思った
神様は、まだ私に何をしろというのだろう
まだやり残した事をやらなきゃいけないのか
まだ試練を与えられるのか
前世がよほどの悪人だったのだろうか


何かのために生かされているとしか思えないが
今、その何かとやらを探している


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