甘い人間

もしデスノートを持っていたとして、彼の名前を書くだろうか?とふと考える。
色んなことを思い出していると、ムカつきすぎて死ねば良いのになんて思う瞬間もある。
今後彼と2人で会って話すこともないだろう。
それでも私は彼に、この世界のどこかで生きていて欲しいと願っているみたいだ。
幸せになんてならなくて良いけど、消えてしまうのは寂しい。
この気持ちは一体何なのだろう。

恋人と別れるというのは、実質死別と変わらないのではないかと思う。
元々赤の他人である以上、別れを選ぶということは、もう二度と会わなくて良いと宣言したようなものだ。
実際、過去の元彼と再会することなんてほとんどない。
これまで親よりも近しく関わってきた人と、いきなり死別するのだから、未練なんてなくたって悲しいのは当たり前だと思う。
何回経験しても、この痛みに慣れることはない。

私にとって、恋の大きさは思い出に比例する。
一緒に過ごした幸せな瞬間が多ければ多いほど、その恋が尊いと錯覚してしまう。
もちろん、思い出よりも大事なのは今で、賞味期限切れのにっちもさっちも行かなくなった恋に縋ったところでどうしようもない。
それでも私は彼との思い出に現実味を持たせるために、彼をこの世界のどこかに置いておきたいのだと思う。

かつてお気に入りだったブランドのショップに行ってみると、良いと思う服が全然ない、なんてことがある。
私たちは、自分でも気づかないくらいゆっくりと、日々知らず知らずのうちに変化していく。
いつだって今この瞬間はナマモノで、色んな諸条件が重なって状況というものが生まれていくのだ。
そして私たちに出来る最善は、その状況に順応するということなのである。
要するに、大抵のことは後からでは取り返しがつかない。

それでも、どんなに辛い出来事も、すべては時間の経過とともに癒えていくということは、過去の自分が教えてくれる。
過ぎ去った思い出は、いつか胸を締め付けるような痛みを伴わずに、懐かしい記憶となっていくことだろう。
そんなことを想像しながら、私はやはり自分は甘い人間だと思う。
彼のことをこの世から消し去りたいと思う日は、きっと来ない。







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