選択と集中
同じような日常を繰り返しているとつい忘れてしまいがちだけれど、人生というのは常に選択の連続である。
付き合ったり結婚したりしていたって、今日一緒にいる人と明日も一緒にいるのかは今日の自分の心次第だ。
自分が今、目の前の人にどんな言葉をかけるのかで、相手の気持ちだって変わっていく。
だからこそ、自分のコンディションは常に万全に整えておきたいと思う。
睡眠不足だったり、イライラを溜め込んだ状態でいることは、いつ重大なミスを犯してもおかしくないってことだから。
当たり前のことだけど、なるべくなら後悔なんてしたくない。
どうしたって後悔はするのだろうし、後悔のない人生が良いとも思わないけれど、自分の準備不足による後悔は、やるせなくて肯定のしようがないと思う。
せめて自分なりにベストは尽くしたんだと思えたなら、どんな現実も受け止められるような気がする。
私は昔から、極限まで判断を留保してしまう方の人間だ。
情報を集めれば集めるほどより正確な判断ができるというのは、ある一面では正しいけれど、必ずしもそうではないと思う。
それはあまりに時間が掛かりすぎるし、考慮要素が多すぎると却って混乱してしまう。
そうこうしているうちに、自分の限られたリソースを食いつぶしてしまって、結果疲弊するのだ。
疲弊している状態で正しい判断などできるはずがない。
選択と集中というのは、あらゆる資源において適用されるべきなのだろう。
けれども、比較の中でしか分からないこともある。
自分の頭の中で練り上げた理想の王国なんて存在しないから、現実における選択というのは、大抵の場合「より良いものを選ぶ」ということに他ならない。
その意味で判断においては常に外部からの情報が必要で、どんな情報を集めるのかということが重要だ。
そして必要な情報が何かということは、自分の内側を掘り下げるしかない。
だから、思考を深めるというのは、判断の段階よりはむしろ、情報収集の前段階において必要なのかもしれない。
なぜそう感じたのか?それはなぜなのか?何が自分にとって切実なことなのか?逆に何が本質から外れているのか?
そうしたことを考えていくうちに、確認するべき情報というのは自ずと明らかになっていくのではないか。
しばらくはそんな風に考えて、頭を整理してみたいと思う。
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