読書 池上彰と考える、仏教って何ですか?
10年以上前の本です。
仏教について何も知らないなぁと思い当時購入した本。でもその時の私には読み切るだけの集中力がなかった… まさかの10年放置。反省しております…
改めて拝読させていただきました。
前半は仏教の分かりやすい解説。後半はチベット仏教ダライラマ14世との対談記録。
我が家は確か浄土真宗と親父が言ってたような気がする。開祖は親鸞さんで鎌倉仏教と呼ばれる一派のようだ。知らんかった…
本当に無知ですみません。大変恐縮ですが私なりの超要約を下記します。間違ってると思います。ごめんなさい。
ブッダは超ストイックな修行の末に悟りを開いた。が、それは誰にでも出来る簡単なものではない。であれば一般大衆は悟りを開けない事が明白。ここで2派に考え方が別れる。上座部と大乗。上座部はそのままストイックであるべきというスタンス。主にスリランカへ伝わる。一方、大乗はもっとアクセスしやすいように柔軟にアレンジして行こうという考え方。チベットや中国に伝わる。
中国に伝わった仏教は中華フィルターを通じてやがて日本に伝来し、聖徳太子や蘇我馬子によって日本の統治システムのOSとして日本へ浸透してゆく。
ただやはり恩恵を預かるのは特権階級層。庶民には難しくてなかなかハードルが高い。苦しんでるのは庶民なのに… それを大衆レベルにまで分かりやすく噛み砕いたのが鎌倉仏教と呼ばれる新興勢力。法然、親鸞、日蓮など。確かに名前は聞いたことある。
お経を唱えればそれで極楽浄土に行けるらしい。庶民のために分かりやすくしすぎたせいか、ブッダの主張とこの時点でだいぶ差分がある。てかもはや別物のような気もする。
でもココが面白いよね。時代と場所が変われば物事はどんどん変わってゆく。諸行無常ってやつだ。これを受け入れなさいと仏教は言っている。
考えてみれば別に正解探しをしてるわけでもなく、幸福を感じれる人が多くなるんならそれで良くない?と言ってる気がする。賛成です。
江戸時代に大きなポイントがありました。全ての家はいずれかの寺に所属しろという檀家制度が義務付けされた。キリスト教を排除したかったんだね。外国との接点を極力排除したいという政治的な目的。ここが現代に至る日本人の無宗教さに大いに関係がある。
寺にしてみれば国のルールで勝手に顧客が付くという棚ぼたマジックである。新規開拓に邁進せずとも客がいっぱい押し寄せてくる。今も昔もそのようなスタイルには勘違いが生じやすい。いくつかの寺では教えの意義を説く事より、宗教的興行を成功させてゆく事にのみ心が囚われてしまう。大前提である教えを普及させる努力を怠ってしまった。今の葬式仏教と揶揄されてしまうような立ち位置に自ら落ちてしまったのだ。消費者にしてみても寺に所属するメリットはもはや感じにくい。
でも哲学的な仏教の魅力はひしひしと伝わるんです。檀家制度は一旦置いといて、今の時代に仏教を学び直すメリットはとても大きいと思いました。後半のダライラマとの会談はそれを充分に感じさせてくれます。
とにかく優しい。YouTubeでチベット族の一般人インタビューも見ながら読んでみましたが、たまたまかもですが皆んな表情が優しいんです。物資的な豊かさより精神的な豊かさを大事にしている印象。何だか清々しい。政治的にはとても苦労されているはずですが…
中国の自治区政策。チベット、ウイグル、モンゴルなど。漢民族との同化政策なんて見てられない。何でそんなことするのか。どうしたいのか。そんな事に意味はないように私には感じられる。でもそんな中でも彼らはチベット族のアイデンティティを継承すべく、非暴力で大国と戦われている。そこには仏教とダライラマの教えがある。なんて尊いんだろうか。
私がチベットに出来ることなんて正直思いつかないが、この学びを通じて無関心にだけはならないでおこうと思いました。10年放置者が偉そうなことは言えませんが、とにかく今日はそう思いました。
ありがとうございました。
*私は一冊読んだだけの素人です。浅い理解であろうことは自覚しています。ご気分を害される方がいらっしゃれば、ごめんなさい。
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