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5月2日(2015年) ナショナルダービー

この日の清尾さんの投稿は浦和対G大阪であった。このカードを、かつて「ナショナルダービー」と最初に称したのは、確か当時、日本代表監督だったオシム氏だと記憶している。そのオシム氏逝去の報が、今朝の新聞各紙に掲載された。心よりご冥福をお祈りいたします。

オシム氏が称した「ナショナルダービー」も、その後、G大阪がJ2降格を経験し、浦和が2011年に残留争いに巻き込まれるなど低迷したことで言われなくなってしまったが、この2015年前後には一時的に盛り返した。2014年は終盤までリーグ戦優勝を争い、2015年はチャンピオンシップ準決勝を戦った。さらに2016年元日には天皇杯決勝でも顔合わせした。いずれもG大阪に煮え湯を飲まされたのだが、2015年5月2日の試合は勝利したことで少しばかり留飲を下げた記憶がある。また、この日は5万人を超える観衆が詰めかけ、「ナショナルダービー再び」の気持ちにもなった。だが、それも長続きはしなかった。

世界には「ナショナルダービー」と呼ばれるカードが随所にある。スペインの「エル・クラシコ」レアル・マドリー対バルセロナ、プレミアのマンチェスター・ユナイテッド対リヴァプール、セリエAのユベントス対インテル、オランダの「クラシケル」アヤックス対フェイエノールト、アルゼンチンの「スーペルクラシコ」ボカ・ジュニオルス対リーベルプレートなど。いずれも長い歴史と伝統の中ではぐくまれたものであり、対象のチームが多少低迷しても、その戦いが色あせることはなく、特別な試合として扱われている。

それらに比べると、まだ30年の歴史しかない日本に「ナショナルダービー」と呼ばれるカードが育っていないのも、ある意味仕方のないことかもしれない。それでも一時期、浦和対G大阪が「ナショナルダービー」と言われ、浦和がその片翼を担ったのは誇りとして良い歴史である。今後、日本に確固たる「ナショナルダービー」が出来た時、その片翼は浦和がぜひ担ってほしい。いや担うべき存在である。


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