Moçambiqueへの道のり編

4/26、ついに出発当日を迎えた。
ギリギリまでパッキングをしていたが、無料預入サービスである23Kg以内×3を(自宅の体重計では)無事にクリアした。

モザンビークへは、エチオピア航空を利用して、
2時間飛んで①仁川空港でトランジット(1時間)→約14時間飛んで②アディスアベバ(エチオピア)でトランジット(2時間)→③5時間かけてマプト空港へ到着の予定だ。

自分は夜のフライトだったが、同日にモンゴル派遣の同期が出発の予定だったため、早めに成田空港入りをしてお見送りへと向かった。
(母と叔母に送迎して頂いたので、正しく言うと、連れて行ってもらった。)

彼らとは訓練所内でも非常に長い時間を過ごした。同職種(理学療法士)であり、同年代であり打ち解けるまでそんなに時間は掛からなかった。
一緒に自主講座をやったり、雪山を下山して温泉に行ったり、時には涙を流したり、一言では語り切れないくらいの思い出がある。

空港で会った彼らの目はとても輝いていて、自分が知ってるよりも逞しく見えた。
強い覚悟と意思を決めてここに来た、ということが一目見て分かった。

短い時間ではあったが、二人にお別れを告げて、自分も第1ターミナルへ向かう。

自分が想像していたよりも、空港内は人が多くコロナはもう忘れられてるのか、と思うほどだった。
とはいえ、自分のフライトの約7時間前に空港入りして、日本→USDへ換金したり、荷物の整理をしたり過ごしていたが如何せん暇で。
徐々に同じフライトの同期が現れ、フライトまでの時間は事なきを得た。

今回はモザンビーク7名(訓練所同期5名+待機組2名)、ウガンダ2名(同期2名)でのフライトで、かなりの大所帯だった。

正直、普段仲良くしていた同期ばかりだったので、楽しく過ごせるだろうと思っていたが、まあ道中様々なハプニングが起こった。

まず、仁川空港に到着後、同期が機内に荷物を忘れ、また別の同期が女子トイレにスマホを置き忘れ、手荷物検査場ではうるさくて怒られ、てんやわんや。笑

14時間のフライトは未知数で、機内食は3回、寝ても寝ても着かない。
だんだん下腿が重だるく、浮腫み始める。地獄だ。
帰国時に同じ思いをすると思うと絶望感に苛まれるが、恐らく帰国できる喜びで今回ほどの辛い思いはしないだろうと思う。笑

その後、無事にアディスアベバに到着すると、ウガンダ組はトランジットの時間が非常に短いようで、空港を走って颯爽と旅立った。さよならも淡白だったが、また2年後会えると思えばこれくらいが丁度良いのかもしれない。

アディスアベバはもう如何にも”アフリカ ”という感じで多少の暑さも、様々な香水の強い香りや飛び交う言語に戸惑いつつも、トイレがTOTO製で非常に綺麗で驚いた。
こんな所にも日本製のものがあるなんて!と嬉しく、誇りに感じた。

5時間のフライトを経て、無事にモザンビークに着。
飛行機から降りてまず感じたのは何より 暑い 。
この日は比較的暑い日だったとのことで最高気温は34℃だったらしい。
長袖Tシャツを着ていた私は汗だくになりながらも入国審査を通った。
当たり前だが、ここからは全てポルトガル語で話しかけなければならない。

が、何を言ってるのか全然分からない。
拙いポルトガル語でなんとか頑張るも、伝わってるのかすらよく分からない。
焦る、ひたすら焦る。
隣にいる同僚に話しかけてるのか、自分に話しかけてるのかも分からない。
焦る、ひたすら焦る。
そんな中、親切に英語で伝えてくれる方も居たので、無事に審査を通ることが出来た。

ロストバゲッジすることもなく無事に荷物を獲得し、ゲートを潜るとVC達にお出迎えされ、これから9日間過ごすホテルへ移動した。


こうしてついにモザンビークへ到着した。
これから2年間の生活が始まる訳だが、来週からすぐホームステイ生活が始まる。
母国語の通じない世界で自分がどれだけ充実した時間を過ごせるか、奮闘記を綴っていきたい。


1番最初の機内食、ビーフが脂っこい
深夜1時に出た機内食、お腹いっぱいでポテト2舐めで終了
朝ごはん、パンケーキを選んだら全て甘い、くどい、死んだ
チキンバーガーみたいな軽食 これが1番美味しかった
グリンピース食べれません


ホテルからの朝日



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