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手掌多汗症で悩み、開き直れた話

YouTubeを開くと、手掌多汗症で悩んでいる人を取り上げたニュースが飛び込んできて、似た境遇に思わずクリックし動画を見た

「汗で、プリントが濡れるのが怖い」
「人と手を繋ぐのが怖い」
「ノートがふやけて、文字が書きにくい」

と言う悩みや、精神的な悩みを語っておりその悩みや考えに凄く共感した。


そして、それと同時に現役の高校生が自身の病気(手掌多汗症)について、取材を受け世界に発信している勇気に心を打たれた。

私は周囲の知り合いだったりリア友にすら、『自身が多汗症で悩んでいる』…と打ち明けられずにいたり、

多汗症な事を、周囲に打ち明けず隠し続け暮らしていた時間の方が長かったりもするので、

当時、私がその女子高生の立場になったとしても「取材を受けもっと色々な人に病気の事を知って貰い理解ある世の中に…」と言う、勇気あるこの行動を真似できなかっただろうな…と思ってます

そしてその動画を見ていて、
ふと思いました。
「多汗症に関して、世間は、どれぐらいの人達が認知しているのだろうか?」

手掌多汗症、多汗症
(たかんしょう)
とは、

手の平や足の裏を中心に、特定の部位に集中して汗が出てくる病気です。
(人によって症状のレベルが違ったりもします。)

手の平などに非常に沢山の汗をかくため、『握手ができない』『試験用紙など大事な書類を濡らしてしまったり、汚したり』して日常生活を送るなか、支障をきたして困り、悩む人。
(の事を言ったりします)


私も多汗症で凄く悩んでいた時期がありましたが、もう何十年も付き合っている事と、完全に治った訳ではないにせよ

自身の手汗嫌悪感を抱く事
少なくなったなと個人的に感じており、

あんなに嫌悪していた
自身の手汗関する考え方が変わって
心境の変化なども色々あったなと思ったので

個人的に、手汗に苦しめられたエピソードと共に多汗症についてどう向き合っていったのか、を書こうと思いました。

多汗症に関する
自身の症状の説明

私の多汗症は、手の平が乾いている時もあるが「手汗」を意識すればする程出てきて、手汗で手に軽く雫が溜まるレベルのもので、酷い時は手汗が数的、手のひらを伝って流れ落ちる程です。

ずっと手汗が出続けてると言うことはなく、乾いている時と大量に出る時の差が凄いです。
ちなみに私は『手汗』の事を意識し考えれば考える程、手汗が出てきてしまいます。

「手汗やばい、止めなきゃ」と言う気持ちも虚しく、むしろ逆に意識と反して出てくる場合があります。

(でも汗止まってくれ…と汗に対して、思う気持ちや考える所は、割と手汗や多汗症関係なく、他の人と一緒だったり、体の他の部位にも当てはまるかも…)

ただ凄く困るのが

多汗症モードに入ると、拭いても拭いても手汗が出てきます。
(拭いても拭いても、拭いきれない…
手汗止まらない、これが困ります。長時間に渡って出続けるので、もうハンカチ握りしめとくしかないな…と言うレベル)

足汗は、靴下にかなり救われてました。

それから個人的に、手汗や足汗は、自身の体温や外の環境などの気温は、関係ないかな?と感じていて、季節関係なく冬も出る時は、出ます。

人と握手ということを意識すると出たりもするし、何も考えてなくても手汗かく時はかきます。

ただ私の場合…足汗も一緒に、かく時がある。

特に『靴を脱いで靴下のまま教室内に入る授業』が辛かったです…
特に音楽室のフローリング…辛かった。

ずっと同じ場所に立ってると、
足汗が出た時に発する足の熱と、
冷えている床の温度差で、
自分の足の周りだけ、囲った様な足跡がつくレベル…でした。

そしてそれを見た男子生徒からは
「なんかここ足跡あるw誰のだよw???」って指摘されたりする場面が何度かあり色々辛かった…笑笑
(そういう場合絶対名乗り出ない、名乗れない…無理)

手も同様で、ガラスとかに手をベタッとつけると、手痕がつきます…
汗でつくのもあるけど、多分熱で手の周りの跡がついてる感じ。

手汗が出てる時は、比較的体の他の箇所からは汗が出てない気がします。手汗でてる時、腕とかからは汗出てこない気がしている(個人の体感的に)

レベルで言うと、中度のものだったのですが、精神的な面で気持ちが変わったお陰か、昔と比べると症状が軽くなったかもしれないと最近は思っています(※個人の体感なのであまり当てになりませんが)

手汗と言う悪夢の始まり

私は、小学校高学年にあがるにつれて、急に手に汗をかくようになった。
そのキッカケは何だったのかは分からない、特に手と足が酷くて
『手汗を止めたい』『手汗止まんないどうしよう』と心の中で意識すればする程、意識とは相反する様に手汗が出ていた。
また、意識せずとも手汗や足汗が出続ける事もあった。

小学生の頃の多感な時期で
個人的に、人目を気にし始めた頃でもあった為、多汗症の症状が出る度に、気にしてしまい辛かった事を覚えている。

人と握手して「濡れてる、気持ち悪い」と純粋に言われる事が怖かったり

「手汗を人に、つけてしまうなんて嫌だな、申し訳ないし…相手も嫌だろうな…」と言う、罪悪感が大きかった。

特にトラウマとして、今でも覚えている手汗に関する記憶は、
小学生の頃の『折り紙の時間』だった。

千羽鶴を折ると言う授業で、
4、5人のグループとして、
席が近い人と机を向き合わせて、1人2枚ずつ鶴を折る授業があった。

その授業を受ける前から嫌だなと思っていた。
折り紙自体、苦手だった私は、
得意な人が鶴を折るのを見ながら、教えてて貰いつつ真似しながら折っていたけど、慣れない作業に苦戦していた。

折り紙の『角』を綺麗に合わせ、ひと折り、ひと折りする毎に、自分の折り紙は、手汗を吸い続け、ふやけていくのを眺めては
「折り紙ふやけてきちゃった、見た目じゃ分からないレベルだけど、触ったら湿ってるのがバレちゃう…誰にも触られたく無いな」と、内心不安を感じてた。

折った折り紙は、向き合った机の真ん中に置き集める事になっていた。

4.5名で折っていたので誰がどの鶴を折ったのかあまり分かって居らず安心していたけど、最後の確認として鶴が折れてるかどうか開く事になった。

それを確認したグループのリーダーの男子が、一つ一つ鶴を開いては閉じていく、そして私が折ったであろう鶴を触っては
「うわっ、なんかこれだけ湿ってる…キモ…何でこれ湿ってるの!?w」
と冗談混じりで茶化しながら
周りの男子にその鶴を渡しては

「これお前が折っただろw w」
「違うし… w」
なんて、他の男子と笑いあっては
誰が折ったのか…と言う軽い犯人探しみたいなノリになっていた。

当然、「私が…私の鶴…」なんて言える筈もなく知らないフリをしては黙っていたが、

内心では、その場の空気が嫌で仕方なく、「なんか湿っている気持ち悪い鶴」として机の端に、仲間外れみたいにポツリと置かれた鶴を見るのが、とても嫌で堪らなかった。

それと同時に、他の人はやっぱり手汗なんてこんなに出ないよね…紙がふやけるほど手汗が出ないなんて羨ましいな…と羨んでしまった。

折った鶴全てが、回収され大勢の
鶴の中に放り込まれていった、
私の湿った鶴を見て
「やっと終わった、こんな思いするなら、もう授業で折り紙なんて2度と作りたく無いな…」と密かに思った出来事だった。


また、恒例の運動会で組体操する事になったのが、苦痛で仕方なかった。

人の足を掴んだり、手で支えたりして、
強制的に他人に触れないといけない為、毎回不安で、密かに嫌な思いをしていた。

周囲に多汗症を悟られたく無い私からしてみると、組体操は『小学生の運動会での楽しい思い出』でも何でもなく、ただの地獄だった。
『体育ラッキー』だと言っている男子の横で、「手汗バレる…やだな、もうこれ何の試練?」と1人で悩み続けていた。

そして私は、小学生の頃からそこそこ背が高かったので、組体操では手を使って他の子を支える役ばかりだった…

しかし、自分より背が高い子もそこそこ居た事もあり、1番下の土台という訳でもなかった。
自分が1番下の土台だったら、手汗なんて何も気にせず床に手をつけられたのかもしれないけれど、下から2段目だった為、少し腰を曲げる形で中腰になりながらも、下の段に女の子の背中に手をつけ、上に乗った子を支えなきゃいけなかった。

当然体育の授業中は、運動会本番に向けて組体操の練習をする時間があり、その度に不安に駆られていた。

しかし練習1回目では、そこまで手汗のことを気にせずに、呑気に女の子の背中に、手をつけて上の段を支えていた。

この組体操は、手と手を繋ぐわけじゃ無い、服の上に手をのせるだけ、『下の段の子の背中に手を置くだけ…
直に直接肌に触れるわけじゃ無いから、手汗も大丈夫だろう…』と言う、思いで
服の上だからと私は完全に、安心しきっていた。

手を背中に乗っけている間は、そこまで緊張せずにいられた、下の段の子の背中に置いた自分の手が、どんどんあったかくなり、熱を帯びるのを感じ
ポカポカしていくのが分かった。
(手汗のせい)

組体操を無事に終え、休み時間に差し掛かった時、私が手を置いていた、
下の段だったZちゃんが話しかけてきた。

Z「なんか組体操をした後服が…湿っぽい…。〇〇(私)に触られた所だけ、なんか涼しいと言うか…。服が湿ってるって言うのかな…???服が肌に触れてちょっと濡れてるから、そう感じる気がするんだよね…?」
と、面と向かって言われ話しかけられた。

そのZちゃんは、物事に対して少しハッキリ言うタイプの子で、悪気なく純粋な感じで人との間で起きた出来事を話す明るい子だった。

「こう言う事があった」と、他の子との会話の延長線でこの話題になり、
多汗症だと言うことを話してしまえば

私が『多汗症』と言う事が、広まってバレるかもしれないと思ってしまっていた。(Zちゃんに失礼だけど…正直そうだと思っていた)

私は「え、あ、え?そう?そうかな…」
と、適当に濁しながら有耶無耶にして会話を切り上げようとしていると、

Zちゃんは、その場に居た周りの
私とも仲が良い共通の友達に向かって

Zちゃん「私の服触ってみて…やっぱここだけ濡れてない?やっぱ湿っているよね?」
と、他の仲良い子に同意を求め始めた。

私と仲の良かった友達も、
少しだけ気まずそうに
「うーん?ちょっとだけ…?でもそんな分かんないかも…」と言って気まずそうに、その場を収めようとしていた。(多分)

そこで
Zちゃんは『そうだよね!?やっぱちょっと濡れてるよね、手濡れてたのって、何で??』と純粋に聞いてきた。
その声からは悪意も感じられず、多分そのZちゃんの中では、
日常会話として疑問に思った事を素直に聞いただけなのだろう。

私もZちゃんに追求され始めた事で、大事にしたくないな…という気持ちがあり、納得させ早く会話を切り上げたいなと思いはじめ

私「あ…あー、ごめん。そう言えば前の休み時間に、トイレ行って…手洗ったんだよね…多分ちゃんと拭けてなくて…手濡れたままだったかも…ごめんね…次から気をつける…!ちゃんとハンカチ持ってくる…」

と、(辞めて…もう私のHPはゼロよ…状態のまま)
苦し紛れの言い訳に、何とかZちゃんは納得してくれて、それ以上は
追求されずその場は、何とか収まった。

その場で多汗症の事を話しても良かったのかもしれないけど、当時小学生の頃の私は「自身の手から汗が沢山出る」という事に対して、負の感情しか持って居らず

多汗だとバレたら、何か思われたり言われたりするんじゃ無いか…マイナスなイメージしか持たれないよね…
と不安で、そう言う『手や足から汗が沢山出てしまう病気』で、変えようがない仕方のない事だったとしても、
どうしても周囲の同年代の子達に、
バレたくなかった。

そこで私は、それから何回も続く体育での『組体操の練習』では
絶対にその子の背中に手をのせすぎない、体重をかけすぎない点と言う事を意識し、謎の変な努力をした。

上の人が重いな〜とか、この体勢きついな〜とか考える余裕もなかった。

兎に角「また何か…手濡れてない?」とZちゃんに疑われる事の方が、自分にとって苦痛で、
少しだけ手の内側の特に手汗の症状が酷いと感じる部分が、Zちゃんの背中につかない様にした。

というのも、私は運良く2段目だったので、中腰で少しだけ屈みつつ地面に足が付くポジションで、ほぼ足の力と体幹で上の人を支える事ができる場所にいた。

それでも手は添えなければいけない、
背中に置く手の内側は、少しだけ空間を作り、指と手の平の掌根の部分だけを、下の子の背中に軽くのせる、
自身の体重と上の人の体重を、Zちゃんの背中に伝わらせない様に、
服の面に自身の汗が染みすぎない様に、ギリギリを攻めながらも、少しだけZちゃんの背中に手を置きつつ、手汗が酷い手の平だけは避け浮かせて置いた。

練習でも本番でも、それでなんとか乗り切り、無事終える事が出来た。
(当時は本当に手汗の事しか頭になく、不安しかたなかったが今思うと危ない。足と手支えていて、バランス崩れた時とかを考え、いつでも、下の段のZちゃんの背中に体重かけられる様にしてはいたけど…危ない)

その努力があってか、練習1回目以降

下段のZちゃんが毎回『もっと体重乗せて良いよ!?全然体重感じないけど、遠慮してる?…』
と練習する度に言われ、心配させてしまったが、どうしても体重をかけ背中に手を乗せる事の方が無理で、
汗のせいでZちゃんの背中に手を置く事自体トラウマになっていたので出来なかった。
(当時、担任の先生に相談してポジションとか変えて貰えば良かったのかもしれないけど、大人や先生と言う存在が個人的に苦手で、相談の仕方も、大人との会話の仕方もよく分からず、手汗の事は特に周囲に相談できずにいた)

「手汗が…怖くて」とも「実は多汗症で…手の平に汗が出ちゃって嫌な思いさせるかも」ともZちゃんにも、友達にも、誰にも言えなかった。
ただ言わなかったけど、本当に仲の良い友達数名には、多汗症だと言う事がバレていたのかもしれない。

休み時間も、手を握って遊ぶタイプの「はないちもんめ」や「かごめかごめ」も「腕相撲」も心から楽しむ余裕もなく、避け続けていた。

手汗どうしよう…と焦燥感に駆られていた。

本当に仲の良い友達と、手を握ったり、手を繋いだりする場面に、何度か遭遇したりする事もあったけど、腕組みに変えてもらったりして避けていた。

本当は友達の手を握る事も嫌いじゃ無いし、むしろ手繋ぎたいなと言う気持ちもあったけど、どうしても手同士を合わせるのは苦手だなと思っていた。

ただ手を繋ぐのを、それとなく断る時に申し訳無い思いもたくさんあった。

必死に『相手の手が汚いとか、それが理由で繋ぎたく無いとかじゃ無いけど
私の手が汚いから…人の手を握るの苦手で…汚しちゃうと思うし…。
でも腕組みだったら大丈夫だから、腕組みしながら歩こ…』
みたいな事を毎回話して、相手も傷つけない様にと遠回しに断り会話をする事が何度かあった。

それでも、本当に仲良かった友達数名にはバレていて、私が「多汗症」だと言う事を少なからず察していたと思う。

そんな感じで、自分の汗に苦しめられている私だったが

2つの出来事で、手汗に対する嫌悪感が薄れた。

そのキッカケを話していこうと思う。

小学を卒業して、
同じ多汗症の子に出会った事があった。多汗症の事で、かなり打ち解け
初めて自分以外にも多汗症で悩む同年代の友達という部分もあり

多汗症あるあるの
「人と手繋ぐの怖いよね…」だとか

「急に触れる事になると焦る…」とか

「手汗について考えれば考える程、手汗出てくるの嫌だよね…」

「手を置いているとノートの紙がシワシワになって…ふやけて書きずらいし酷い時は破けるよね…」

「内心手汗について、気持ち悪がられてないか心配で…」なんて

自身の手汗についての愚痴を言い合いつつも、悩みを共有したり話し合ったりした。
多汗症あるあると、手汗に関する苦労について心から共感しあえて、一気に仲が深まったきっかけでもあったと思う。

そして、互いに手を繋いだりもした、
お互い手が汗でビショビショだった事もあり気にせず手を繋ぐ事ができ感動した事を覚えてる。

私は運が良く、同じ事で同じ多汗症で悩んでいる子と友達として語り合えたから
より多汗症に向き合いやすくなっていたと言う部分もあったのかもしれない。


そしてもう1つのきっかけは、ネットで
今回の女子高生さんの動画以外に、コンプレッスクについて(だったかな?あまり覚えてなくてすみません。)
語っている動画を見ていて、そこのコメント欄に、

多汗症に関して悩んでいるコメントが書いてあった事がきっかけだったと思う。

同じく多汗症悩んでいる人が、多汗症悩んでいる人に「仲間〜!」みたいな回答していて、確かYouTubeに書かれていた、コメントだった気がする

「多汗症辛い…(確か多汗症辛いエピソードが書いていた気がする)」

そのコメントに共感するように、


『多汗症…辛いよね…分かる、私はもう手から水が出る事を特技にしたよ…』

返信には、そう書かれていた。

よくあるネットのノリで、自虐ネタだったのかもしれない…

でも、私はそのコメントを見た時、凄く驚いた。そしてなんか凄い前向きだけど、変な方向にユーモラスで…明るい気持ちになった。

人によっては、ネタにした事で嫌悪感を抱くのかもしれない、
だけど私個人は、多汗症で悩んでいて当事者みたいなものだったけど、そのコメントに一切嫌悪感を抱かなかった、むしろなんか前向きに思えて素敵だなと思ったし、何だか手汗について悩んでいた自分がバカらしく思えてきて、何で悩んでたんだろう?って、そのコメントを見て笑えてきてしまった。

そうか、短所だと思ってた『手汗』に関してそう言う捉え方も出来るのか…
そう言う考えもあるのか…!?

それに気づいた瞬間色々思い浮かんだ、

でも、確かにそうなんだ。
汗かもしれない、でも見ようによっては

手から水が出てる…!?

(汗だけど…今は汗とか置いといて…)

これ、かなり凄い事なんじゃないか?

だって他の人は真似出来ない
一種の超能力者じゃん!?!?

私はそこでテンションがぶち上がった…
(ただ私が拗らせた厨二心を忘れられない子供 だと言うことは置いといて…)

え、じゃあこれ…もしかしてだけど…
いつか遭遇するかもしれない
飲み会とかの、一発芸にも出来ちゃったりするんじゃないの???
したくない一発芸、酒の場で上司にやらされるタイプの一発芸に…なる(?)
盛り上がるかは置いといて…

私…どっかの…駄女神様みたいに…手汗でセルフ花鳥風月出来ちゃうんだ…!?
(扇子も無しに?)

なんて事まで思った。
そんな、変な方向に向かいながら進んでいくポジティブ思考がおかしくて…

そうと決まったら、特訓だわ!!!(?)
手汗の1つや2つ、出したい時に出して、逆にこちらが手汗の事を、一発芸にでも仕立ててやろうじゃないの???なんてまで思えてきた…笑

そこで私は、厨二病の真似をしながら
手をパァにしながら

「さぁ…!!!私の手よ…今こそ…思う存分…水(汗)を出す時が来た!!!!!!!水を出せ!!!!」

と1人部屋の中で叫びつつ(※冗談だよ、本当に厨二の真似だよ…冗談だけど、本気で真剣にやっただけ!!!)

そして私は…水を手から出すタイプの、水を自在に操るタイプの超能力者になってやる!!!!と思った。
(何も知らない子供に、水と言い張って見せたら喜ばれそう)

なんて期待に胸を膨らませながら
「手から水を…」と手に意識を向け集中させていたら、手汗はあまり出なかった。出ないどころか心なしか、引っ込んだ気がする…。

可笑しい…どうやら、私の多汗症は 天邪鬼らしい…

でも、そこで気づいた。

『手汗でるな…!出ちゃ駄目…』と意識したら、否が応でも手汗は…出る!!

『手汗出てもええで…能力能力、能力者!!!!』なんて意識しながら出そうとしたら、あまり出ない事が分かった。

と言うよりも、手汗なんて出てもいいかな〜と言うか、「汗出ろ」って言って出たらオモロイな…と心から思えるようになった。(もしこの文を見て多汗症の人が試したとして、私とは逆に手汗でまくったら誇ってください、特技にできます!!!!!)

それからは、無意識の中で手汗が出ても
『あぁ、私は手から水を生成するタイプの超能力者だから…今日も私の手、水を沢山放出しちゃうわ〜w水タイプだもの…制御できない力が溢れ出ちゃった…』(※冗談です)

なんて、思えるようになった…笑笑
余裕ができた気がする。

そう思えてくると案外にも気持ち的に。楽なもので、

事実の捉え方1つでこんなにも、日常が変わるもかと思いました。

こう言う身体に関する悩みとか含めて、
「無理やりのポジティブ」って、何だかんだ逆にネガティブな気持ちを強調させてしまいがちだけど、

私には、変な方向に振り切った
ポジティブ
が凄く性に合っていたのか

同じ悩みを抱えた人をネットで見つけてみたり、

ちょっと逆張りして、真逆な考え方で物事の捉え方を変えてみたり

こういった方法で、私は自身の短所だと思っていた手汗に向き合う事ができたので良かったと思っている。
短所も長所になり得る…

まぁ、コイツ(自身の多汗症)とは…長く付き合う事にもなりそうだし…気長に付き合っていこうかな?と思えたキッカケでした。

最後に

ただ、読んでみても多汗症に関する悩みの度合いなどにより私の意見は、しっくりこないと言う方もいるかもしれません。
私個人、手術も考えた時期がありましたがデメリットの面を考え、付き合っていく事を決めました。(※人によってはメリットの方がデカいという場合もあると思います)
私自身は、多汗症とは長い付き合いになる部分があると感じた為、
その向き合い方について考えなどを変えた部分があり、その事を書かせていただきました。
そしてこの記事を読んで、誰かの何かの参考になれば幸いです。

今現在、手掌多汗症を治す手術など色々ありますので、手術を考える方は
ネットにてメリットデメリットなどに一度、目を通しながら専門の医師へと
相談してみる事も、視野に入れてみると良いかもしれません。

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