私の卓球遍歴・後編


ここは前の記事の続きです。

https://note.com/joyous_egret8063/n/n61498a59ee90?sub_rt=share_pw


高校卓球へ

私の卓球は前編で話したように不本意で終わりました。力が入らなくなるというのはかなりの痛手でした。色々なストレスがあったのでしょうね。高校受験の勉強は効率よくやって第一志望の高校に入学できました。高校入学後には吹奏楽部からの熱烈な歓迎に合い迷いましたが最終的に卓球部に入りました。

高校卓球のレベルの高さ

高校卓球では基本的に中学で運動が苦手で入る層や合わなかったという層がいなくなりかなりレベルが高くなります。ほとんどの選手がドライブができるようになっており、最初はそのレベルの高さにびっくりしていました。かくいう私もカットマンではなくなりましたがほぼ自然にドライブができるようになっていました。

その中で

私が入った高校は練習をそこまで真面目にはやらないもののレベルは私自身のそれよりもかなり高かったです。その中で1年の秋ほどの大会では角シードと当たるぐらいまでに勝ち進めました。これは私としてもかなりびっくりしていました。カットマンはやめたものの私はカットマンのような手堅さと粘着ラバーによるフォアドライブで4か5かどっちか忘れちゃったけどそこまで行けました。角シードの相手にも3-1と1ゲームを取り、最終ゲームもデュースまで行けました。自分のスキルが上手くマッチしていたからこそこれができたのかなと感じました。

更なる勝ちを求め

私は2年になり、自分の弱点に向き合います。それはバックのスキルの無さです。私はバックでのドライブができなかったのです。高校レベルになると上手い選手はバックでフォア以上の玉を放ちます。だからこそそれができない私の弱点であるバックをカバーしようと考えます。具体的にはバックを表ラバーに変えるというものです。しかしこの取り組みは失敗しました。むしろ使い方が分からなく成績は更に悪化しました。

裏裏に戻して

秋からはバックラバーを裏ラバーに戻しました。まあそっちのほうが合いましたし成績は徐々に戻りました。そしてバックは補助的なものにしようと覚悟を決めました。つまりはフォアを鍛えなおすといったところです。そこからはフォアのラリーやドライブを集中的に意識してプレーしました。そのうちにまた勝ちへの過度な意識が生まれました。

時流に飲まれ

しかし世間は難しいもので2020年、引退年には新型コロナウイルスが流行してしまう。これにより私、いや、全国の学生たちは自宅での待機をしてしまいました。その待機期間はもやもやする物でした。しかし、それは悪いものだけではなく、明けた時には勝ちへの余計なプレッシャーが全部無くなっていました。だからこそ休校明けの練習などではかなりのパフォーマンスを上げられてたと思います。

思いがけない引退

しかし私は思いがけない形で引退をしてしまうことになりました。それは最後の大会の中止です。コロナの感染拡大によっての判断でしょう。引退試合が無くなりました。これは開催するかしないかっていうレベルでしたのでしょう。それによって私は完全にやる気を失っちゃいました。これにて高校までの卓球生活が終わりました。

そして現在に

今、私は大学4年生です。弟の大会などを観ているうちに自分でもやりたい思いがまた強くなり、P4マッチというシステムを利用して大会に出たりしています。弟はかなり強く正直今の私では競るのは難しいのではと感じます。彼はエリートですが私はエリートじゃないのでゆったりとやっています。なので通常の卓球自体は長期休み以外の時期はサークルで週に1回ほどといった感じでエンジョイ勢っていう形でやっています。これからも続けるかは迷っているのですが才覚が少しでもあるなら続けて才覚が全く無さそうならさっさと引退しようかなと思っています。秋にある大会が実質的に引退になるかもなーって感じで今はプレーするつもりです。前編・後編と駄文をここまで読んでいただきありがとうございます🙇

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?