見出し画像

雨の寂庵 2023

※先々月の5月19日に、瀬戸内寂聴記念会は会員メンバーと寂庵を訪れた。今回は、その訪問記をお送りします。
 
                         事務局長 竹内紀子

  寂聴さん誕生日の4日後、5月19日の午後1時間あまり、主のいない寂庵を訪れました。特別にお願いして、ご許可をいただいたのです。寂庵といっても、寂聴さんの住居ではなく、敷地内に建つ、正確には「サガノ・サンガ」、月に1度、法話をされていた40畳の建物です。姉の艶さんが、寂聴さんが出家して10年が経ったとき、無事に過ごしてこられた恩返しのため、建てることをすすめ、1985年に完成しました。ここで寂聴さんは、多くの人を迎え、毎月、法話や写経をおこなってきました。多いときは、希望者が殺到し、二百数十人も詰め込んだというこの場所に、今は寂聴さんの写真やお花が飾られていて、会員たちがお線香を上げ、お参りすることから始まりました。今回のメンバーは、横浜、神戸、滋賀から一人ずつ、徳島から6人の計9人。「一度訪ねてみたい」という声から、実現しました。

 当日は珍しく雨で、JR嵯峨嵐山駅から25分ほど歩く道のりは少々きつかったのですが、雨に洗われた青葉は生命力にあふれていました。寂庵に着くと、たわわな白い花が門からあふれ出すように私たちを迎えてくれました。カルミアという、寂聴さんが小さな紫陽花のようだと書いていた、初めて見る花でした。畠作りを通して親交のあった実業家、江戸英雄さんが持ってきて植えてくれた花だそうです。ほかにも、ゆかりの方たちが持って来た「まんさく」や桃、桜などが、季節ごとに寂聴さんの目を楽しませてきました。今も庭は手が加えられ、苔も青々としていました。
 サンガの担当者である馬場さんが、お話をしてくださいました。印象に残っている寂聴さんの言葉は「悪いことは続かない」。出会ったのは、ご自分が幼い子を病気で亡くした直後だったとのこと。その後30年近く勤め、亡くなるときも病院に駆けつけ、家族やスタッフで看取ったとのこと。

 今回の訪問で、私は20年ぶりに若い二人に会えました。横浜と神戸からの参加者、TさんとKさんです。2003年度に徳島県立文学書道館で寂聴さんは25歳以下の人たちを集めて「青少年のための寂聴文学教室」を開いておられ、月に1回徳島に帰って来ていました。悩みをもつ人には教室が終わっても個人的に話す時間をとっていました。中・高・大学生、社会人の40人で、毎月作文の宿題がありました。学芸員として、私はそのお世話をしていました。12月には生徒たちで企画し、紅葉の寂庵を訪問しました。今回参加の二人は、京都の大学に進み、今は二人とも二児の母です。寂聴さんの縁で会えたこと、記念会の一員となってくれたことをうれしく思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?