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【小樽が舞台】2月は呪いの季節~パティスリーシノノメの事件録~第3話

第3話 再び東雲町の店へ


 青白い顔に、くまが浮かんだ目元。
 冬なのもあるが、肌の乾燥がひどく、唇もガサガサだ。

 毎日鏡は見ているはずだが、こんな生気のない顔になっていたのに、全く気付いていなかった。

 幽霊のような自分の顔を見つめながら、弥生は黙々と歯を磨いていた。

 昨夜は眠ったり起きたりを繰り返し、長い髪の女に追いかけられる夢を見た。

 手足は、鉛を入れられたかのように重い。目の奥と頭も痛く、ため息が漏れる。
 本当に風邪を引いてしまったかもしれない。

 休みたい、という言葉が頭をちらつくが、昨日剣一にも話した通り、今日から数日は忙しくなる。

 休んだりしたら、先輩達に陰で何を言われるか、分かったものではない。

 とにかく仕事に行かなくては。くまはコンシーラーで隠せばいい。

 朝のワイドショーが流れるテレビからは、安部首相とトランプ大統領、初めての首脳会談の模様が伝えられている。

 一緒にゴルフをしたりしていても、結局は互いに何か狙いがあるから、仲良く振る舞っているだけだ。それでもニュースになってしまうのだから、ある意味この世界は平和なのかもしれない。

 ほとんど手抜きのメイクが終わったところで、バスの時間は十分後に迫っていた。
 生のトーストにバナナを包み、即席でサンドイッチを作る。バスの中で食べる朝食だ。

 玄関に向かう前に、仏壇の前で手を合わせる。

「…行ってきます」

 ふたつの位牌と、一枚の家族写真。
 あのような夢を見たせいだろう。写真の中で笑う両親の顔を、まともに見られなかった。

 一歩外に出ると、もう8時だというのに空は暗い。風にあおられ、斜めに視界を塞ぐ雪にうんざりする。

 数分遅れで到着したバスに乗り、サンドイッチを齧りながら、ぼんやりと灰色に沈む景色を眺める。

 今日は一日中降るだろう。

 毎日見ている光景だが、今朝は一段と憂鬱な気分になってしまう。

 終点の『本局前』でバスを降り、十五分かけて堺町通商店街を抜ける。

 商店街の一番端、『メルヘン交差点』を渡った坂道を少し登れば、弥生の働くオフィスだ。堺町周辺は、昔は卸問屋や町工場が多かったそうで、このオフィスも元は被服業の問屋だったらしい。

 リノベーションはしてあるので綺麗だが、この建物にも幽霊はいる。

 昭和半ばと思しき、今でいうOL風なファッションの女性が事務所の隅に佇んでいるのと、番台があった場所には、着物姿の老婆が座っている。
 どちらも動かないので害はない。この建物の主だと、弥生は認識していた。

「おはようございまーす…あれ?」

 オフィスには誰もいなかった。
 奥の部屋で声がするので、机に鞄を置いてそちらに向かう。

 明かりと声は、ミーティングをする部屋から漏れていた。

 おはようございます、と言いながら入ると、全員が一斉に弥生を見てきた。

 弥生の上司である芦名所長、四十代のお局三連星、他に数名。優子はまだ出勤していない。
 嫌な予感がした。

「御手洗さん、昨日届いた一番古いひな人形の、お雛様が見当たらないんだけど」

 お局三連星の一人に射すくめられ、心拍数が上がってくる。

「え!?」
「え、じゃないでしょ。最後に触ったのは御手洗さんなんだから」

 二人目が奥から加勢してくる。

「そ、そうですけど…ちゃんと元の箱に入れました!」
「じゃあなんで元の箱が空なわけ?人形が勝手に出ていったっていうの?」

 三人目が加わってきて、弥生はパニック寸前だった。

 この三人は、何かにつけて弥生を目の敵にしてくる。挨拶無視は当たり前だし、仕事の無茶ぶりや、逆にわざと仕事を振らない、などの嫌がらせが常態化していた。

「と、とにかく御手洗さんも、探すの手伝って。ね?」

 芦名所長は、気弱を絵にかいたような初老の男性だ。お局たちの事はたびたび相談しているが、完全に彼女らの尻に敷かれているので、あてにできない上司である。

 様々なところから借り受けたひな人形一式を、一つひとつ確認していくが、昨日は確かにあった、能面のような顔のお雛様が出てこない。

 焦ってはいけないと思いつつ、呼吸がつい浅くなってしまう。

 来客のチャイムが鳴るが、最後に人形に触った弥生が率先して探さないといけない。
 幸い、所長が向かってくれた。

「御手洗さんったら、いつもボケッとしてるんだから」
「それか、転売するのに持ち出したとか?」
「やっぱり施設の出身だとねぇ…」

 心拍数が上がりすぎて、もはや吐き気すらしてくる。

 施設の事は関係ありません、と強く言いたい。だが言えない。

 最後に人形を触ったから言いにくいのもあるが、言い返すという行為は、弥生が最も苦手とする事だった。

―お願いだから、早く出てきてよ…。

「御手洗さん、ちょっといいかな?」
 出かかった涙は、所長の声掛けのおかげで引っ込んでくれた。
「この人、知ってる?」

 所長の手には、見覚えのあるものが握られていた。

 名前と肩書と連絡先のみが書かれた、シンプルな名刺。
 昨夜の、旧手宮線での出来事が蘇ってくる。

 何故これを所長が?

「は、はい。一昨日名刺を頂きました。東雲町に、パティスリーをオープンされるそうです」

「うちで情報発信します、って話してくれたんだよね?その件で御手洗さんに会いたいって言っているんだけど、行けそうかな?」

「え…?分かりました。行きます」

 芦名所長とエントランスに向かうと、人影がふたつ。

 土門と、ちょうど出勤してきたらしい優子だった。

 何かを話していたようだが、よく聞こえない。

「土門さん、おはようございます」

 弥生が声をかけると、優子は踵を返し、奥へ引っ込んでしまった。
 妙に暗い表情をしているように見えたが、優子に声をかけている暇はなかった。

「おはようございます。今朝もすごい雪ですね」

 土門の様子に、ぎょっとした。
 この二日間見てきた寡黙な男と、同一人物とは思えないほどの爽やかな笑顔だったからだ。

「一昨日ご紹介頂いたお話し、正式にお願いしたいと思いまして、今日はご挨拶に伺いました」
「そ、それはご丁寧に…ありがとうございます」

 手数料次第だから検討する、と言っていたのに、何の説明もなしに決めたのはどういう事だろうか。

「これ、うちで作った焼き菓子なので、よければ皆さんでどうぞ」
「わざわざすみません。後で頂きます」

 紙袋の中には、白い化粧箱が入っていた。こちらは素直に楽しみである。

 土門がよく通る声で喋るので、奥の部屋にいたスタッフが集まってきた。一人、また一人とギャラリーが増えていく。

 土門もそれに気づいて、奥にいるスタッフ達にも愛想よく挨拶をし、名刺配りまでしだした。

 先ほどまで弥生を意地悪く見ていたお局三連星も、まるで女子高生のように頬を紅潮させ、土門から名刺を受け取っている。
 俳優ばりの顔なのだ。人を惹きつける効果は絶大だろう。

 だが、二日連続でこの男と接した、今の弥生ならわかる。

 これは、何か意図がある。

「御手洗さん、顔色が悪いですよ?何かありましたか?」

 戻ってきた土門にそう言われ、何と返せばいいか迷った。
 外部の人間に、社内のトラブルを話すべきではないだろう。

「もしかして、何かお取込み中でしたか?」
「いえいえ!決してそのような事では」

 弥生が余計な事を言うのを危惧したのか、所長がすかさず口をはさんできた。

「大したことではありません。スタッフで探しものをしていただけですので」
「そうでしたか。それは大変ですね」

 ふと、土門と視線がかち合った。

 口元は笑ったままだが、眼鏡の奥の目が一瞬、ふっと細められる。

 まるで腹の中をまさぐられたような、一瞬の居心地の悪さがあった。

 何だろう、今のは。

「御手洗さんもしかして、何か隠したか盗んだかしたんじゃないかって、疑われてるんですか?」

 心臓が跳ね上がる、どころではなかった。
 土門自身が見ていないはずの先ほどの場面を、どこかで覗いていたような言い方だ。

「所長さん、何がなくなったんですか?」
「ひ、ひな人形です。イベントで飾るための」

 所長も驚いたのか、ごまかす事を忘れてしまったようだ。
 弥生は口を挟まずに、土門と所長のやりとりを窺う事にした。

「その人形が届いたのはいつですか?」
「昨日です」
「なるほど…じゃあ、御手洗さんに盗み出すのは無理ですよ。昨日御手洗さんとライブに行きましたが、そんなものは持っていませんでした」

「なっ…!」

 声が出そうになったが、喉元でどうにか止めた。

「ライブに?御手洗さんと?」
「はい。幼馴染が出演されるという事で、お誘い頂きました」

 訝しがる所長をそう言って封じ込める。
 事実と嘘が上手く混ぜ合わされているので、より真実味が増して聞こえる。

「イベントって、ホームページに載っていた、ひな人形ラリーですよね?写真を見ましたが、あのサイズならそこそこ大きな箱がないと、無傷でしまえない。御手洗さんのそのリュックでは、小さすぎます」

 土門は、弥生のデスクに置かれた昨日と同じリュックを指した。

「でも、コインロッカーとかに入れたら分からないですよね?」

 奥からお局の一人が口を挟む。どうしても弥生を犯人にしたいらしい。

「ライブハウスにコインロッカーはありませんでした。そもそも、そんなリスクを冒して盗み出したところで、貴重な品はすぐ足がつく。適したものは、他にもあるはずです」

 奥のスタッフ達に朗々と語る土門は、まさしく演者だった。
 優子の姿が見えない事に、弥生はこの時初めて気が付いた。

「だから、人形はまだこのオフィスの中にあるのではと思います。案外、全然違う箱に入っているかもしれませんよ、所長さん」
「そうですね…御手洗さんが入れ間違えたかもしれませんし、探す範囲を広げてみます」

 やはり所長も弥生のせいだと思っているらしい。本音が透けて見えて、弥生は若干不満だった。

「御手洗さんも、やってないならはっきりそう言わないと。自分の立場は、最後は自分自身でしか守れないんですから」
「…そうですね」

 全くその通りなのだが、そのように振る舞えたら苦労はない。
 奥からは、まだひそひそ声が聞こえている。

「いやーそれにしても、御手洗さんから業務内容を伺いましたが、小樽の観光発展に尽力されているとか。きっとスタッフの皆さんも、小樽が大好きないい方たちばかりなんでしょうね」

 えぇ、もちろんですよ…と口ごもる所長は、すっかり土門のオーラに圧倒されたようで、完全にペコペコしている。
 長いものに巻かれるを自ら実践しているな、と所長の横で思う。

「部外者がペラペラと申し訳ありませんでした。人形、見つかるといいですね」

 それでは、と一礼してエントランスから出ていく土門の足元に、何かいるのが見えた。

 茶色の毛の猫のように見えたが、そんな所に猫がいるはずない。

 気のせいだと言い聞かせ、弥生は人形の捜索に戻った。

 土門のアドバイス通りに、昨日一切触っていない場所を探してみる。

 件のお雛様は、あっさり発見できた。

 見つかって良かったという安堵感よりは、本当に勝手に動いたのではと一同が凍り付いている、そのような妙な空気が漂っていた。

 すでに時刻は十時半を回っており、予定より遅れながらも、スタッフ総出で人形を搬出用の車に移していく。飾り付けは午後から行う事になった。

 スタッフはそれぞれの業務を再開したが、皆口を開けば土門の話題ばかりだった。

 お局の一人が土門の名前をインターネットで検索してみたようだが、何もヒットしなかったようだ。

 慌ただしく十二時を迎えると、お局三連星は案の定、土門の事で弥生を質問攻めにしてきた。

 いつどこで、どうやって知り合ったのか、一緒にライブに行ったというのは本当なのか。

 ライブの件は、話を合わせた方がいい気がしたので、行ったと嘘を言ってしまった。

 また変な目を向けられると思ったが、土門の存在を意識したのか、お局たちはそれ以上追及して来なかった。
 イケメンの面目躍如だ。

 開放された時にはすでに十二時半を回っていた。

 あまり食欲もないので、オフィス前の自動販売機で買ったコーンスープ缶と、土門が持ってきてくれたお菓子を、ランチ代わりにした。

 初めて食べる彼のケーキは、オレンジピールが混ぜ込まれた、パウンドケーキだった。
 一口食べると、何故か懐かしさがこみ上げてくる。
 他と何が違うのかは分からないが、とにかく美味しい。
 生地の甘味と、オレンジの皮の苦みと食感がいい。

 最近は様々な理由で、バター不使用を謳ったものを求める人が多いが、やはりバターの利いたケーキは、食べた満足感が違う。

 こんな風にではなく、もっとゆっくり味わいたかった。

 午後の時間は、ひな人形の飾り付けであっという間に過ぎていった。
 相変わらず体調は悪いが、作業に集中する事で少しは気が紛れた。

 そして迎えた終業時間に、荷物をまとめたところで優子が近づいてきた。

「ねぇ弥生。昨日のライブ、本当にあの人と行ったの?」

 優子までそれを聞くの?という反論は呑み込んで、弥生はかぶりを振った。

「あるから来てくださいって話ならしたけど。何でああ言ってきたのか、私もよく分からないんだよね」

 軽く答えたのだが、優子の表情は何故か暗い。

「今朝、弥生が来る前にあの人と話をしていたんだけど」
「あぁ…そういえば話してたね」
「弥生とは長い付き合いなのかとか色々聞かれたんだけど、施設で育った人は手癖が悪いというのは本当なんですね、って言われたの」

 思いがけない言葉に、息が止まりそうになる。

「…何それ。私、施設の事なんかあの人に話してないよ?」

 そう言いつつも、人形の事で疑われていたのを言い当てられた事を思い出し、鳥肌が立ってきた。

「どういう事ですか?ってどうにか聞いたんだけど、ニヤニヤして何も言わないの」

 頭が混乱してきた。
 出会ってから二日しか経っていないが、そのような事を言う印象はなかった。

 だが、たった二日で相手の何が分かるというのだろう。

「私怖くなっちゃって…弥生と所長が来て注意が逸れたから、その隙にあそこから離れたのよ」

 優子の目には、うっすら涙が浮かんでいる。
 こんな優子は見たことがない。

「ごめんね優子…全然知らなくて、私…」
「私あの人嫌いだわ。何だか気色悪い」

 謝る事しかできなかった弥生には、『嫌い』という部分がひどく鮮明に聞こえた。

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