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2007年に、震度6強で揺れた

2007年7月16日午前10時13分に、最大震度6強の地震があった、関連死を含めて15名の死者、全壊1331棟と記録に有る。

この日は海の日の振替休日で、月曜だが学校が休みだった。後で書くが、学校は机が倒れ、授業日だったら生徒のケガは免れなかったと思う。休みで、本当に良かった。私は子供を連れて、30キロほど離れた長岡市に所用で出かけていた。子供をおろして、用を済ませたらご飯を食べて買い物をして帰る予定だった。だから、私たちは、6強の揺れを体感していない。地震の時は車に1人で乗り、交差点で信号待ちをしていた。車を掴んで揺さぶる様な揺れで、震度5強だった。震度5はびっくりするけど、余程地盤が悪くなければ被害は起きない、所用を済ませ、子供達と合流してネット環境のある所で、道路状況を調べさせてもらった。

道は、高速、幹線の8号線、海岸、ほとんど通行止めで、唯一抜けられる道を確認して、食料、猫のカリカリと砂、防災用品を買い込みガソリンを満タンにして帰った。長岡は店舗点検のため1時間遅れて11時から営業するお店が多かった。家には、主人が1人でいて、直ぐに電話が通じた、家は潰れてはいないが、ぐちゃぐちゃだそ、と言うこと。ピアノが置いてある、別棟はまだ見に行っていないとのこと。

ラジオを聞きながら、家に近づくと、川向こうの崖が崩れていたり、家が倒壊して国道にはみ出しているのを避けたり、道が40センチくらい隆起しているのを、恐る恐る乗り越えたりして、家に着いたら近所のお宅や倉庫が何軒も全壊していた、文字通りぺちゃんこに潰れて市内は土埃臭い匂いが立ち込めていた。
電気、ガス、水道のインフラが使えなくなった家がほとんど。ガス水道は、ほぼ全戸止まった。電気は8割は止まったが、町の区画により停電しなかった地区もある。

うちの場合、町のど真ん中で電気は止まらず(ラッキー)ガスは、8月10日ごろ復旧、水道は2週間ほどで復旧、もし電気も止まっていたら避難所に行っていたと思うが、電気が通じていたので自宅に留まった。

可笑しかったことがある、その頃音楽教室の仕事をしていて、生徒さんから電話がかかってきた。地震から3時間後位、今下越にいるんですけど、今日夕方レッスンありますかー?とのんびりした声で聞いてくる、いや、無いと思うよ、と言うか出来ない。そっちでしっかり買い物して帰っておいでと伝えておいた。その日の夜レッスンの予定だったが、まず考えられない。今よりネット環境が良く無いし、SNSも発達していなかったので無理もない。

16時頃家に帰り着いて、もうその日は近所を見て回る事もせず、ばらばらに散らかった家の片付けをして過ごした。その頃には、もう自衛隊の車が裏道の隅々まで縫う様に走ってパトロールしているのに出会った。
 
落ちたけど、何とか映っているテレビを見て、買ってきた食料を食べてその日は暮れた。


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