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震度6で揺れると台所はどうなるか

まず、幸いだったのは冷蔵庫と食器棚が倒れなかったこと。建物や地盤の関係か、倒れたお宅もたくさんあった。

揺れた時に家に居た主人によれば、食器棚の戸が開いて食器が一部飛び出して、向かい合わせの冷蔵庫も扉が開き、物が飛び出し停電しなかったのでドアが開けっぱなしの警告音が、ピーピー鳴っていたそうだ。なんか、シュールだ。

その時大量にしまってあったラッキョウの酢漬けと麺つゆが床で混ざり合い、なかなかの臭いだったことを覚えている。ぎょっとしたのは、台に置くタイプのガスコンロが、ずり落ちてガス管ひとつでぶら下がっていた姿。
その頃はマイコンメーターで、揺れがあるとガスがストップする設備が全戸に有り、ガスの供給も止まったのでガス漏れはなかったが、衝撃だった。

主人によれば、カレーを作ろうと玉ねぎを炒めて、途中で中断したものが乗っていたはず、天ぷら油も床に広がっていたし、紛れたのか片付けた記憶がない。

水が出ないので、壊れたものは捨て、とりあえず捨てないものはダンボールに入れて密閉して、水が出るまでは紙コップ紙皿、割り箸生活にした。

知り合いにはコレクションしていたコーヒーカップがことごとく割れたという人もいた、うちは食器の割れたものは意外と少なかったが、子供が小さい頃に使った可愛らしいお茶碗や、使い慣れたマグカップが無くなった。

地震翌日からは、近所で備蓄の水、カンパン、菓子パン、おにぎりが配られ、道路も孤立はしていなかったので市内のスーパーも頑張って営業を続け、食べる物がないということは無かった。無洗米を電気炊飯器で炊いて、カセットコンロで夏なのに鍋や、レトルト食品で食事を作った。ありがたいことに、数日で、自衛隊が市内で炊き出しをはじめてくれて、昼食はもらいに行って、夜は何とか家で作った。暖かい、バラエティに富んだ炊き出しの食事をは、とても有り難かった。

水も、自衛隊の給水車が来てくれたので、自転車でもらいに行くのが日課になった。近所に消雪パイプ用の井戸の水を分けてくれるお宅があり、飲水以外の水は近くでもらえた。

水道管もやられたが、下水道にも損傷があるので水をできるだけ流さないようにとアナウンスが繰り返し有り、いつのまにか目の前の公園に仮設トイレができたので、それを利用した。夏だから寒くなくていいけど、つい水を飲むのを控えてしまう日々ではあった。大学生の娘は、庭があるじゃないと、物置でキジ打ちを敢行して、庭に埋めていた、猫か、、、仮設トイレは嫌だし、水は流せないしということか。

色々不便だし、まだ大学も休みに入ってないので、友達の所に泊めてもらえと、娘は大学のある隣町に送って行った。とても頑張って、高速道路は2日で通れるようになり(だだし、ガタガタ、ジェットコースターみたい)
更に、無料化されていた。ついでにコインランドリーで洗濯をして、スーパー銭湯でお風呂に入ってきた。被災地の住人は、お風呂も無料になっていた、ありがたい。

市外にお風呂に入りに行く他に、自衛隊がお風呂を提供してくれて近くの小学校の校庭に通った。湯船には入らず、湯船の湯を汲んで頭や体を洗った。濡れた髪で車を降りた所に、ガスの復旧工事の人が居合わせて、今度ガス出ますよと声をかけてくれた事もある。うん、でも駐車場はだいぶ離れた区画でうちのガスはお盆近くまで出なかった、ごめんね。

揺れたのは本震と一回の余震、1分も揺れていないのに生活はあっという間に変わる物だ。

追加

帰ってきてすぐ撮った台所の写真が見つかった、作業台にしていた長机が倒れて、いろいろな物が落ちている。流しや引き出しが開いて物が出ている。記憶以上に、物が散乱していた。


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