私撰和歌集

 大学で和歌の研究をしている友達から聞いた、興味深い話がある。
 その昔、鎌倉時代。当時、和歌というのは貴族たちの嗜みであった。自分で詠むことはもちろん、他人の詠んだ歌についても感嘆したり批評したりすることが貴族たちの日常だったそうだ。このように貴族の間で流行りに流行っている和歌。自分が感動した歌の素晴らしさを、知り合いにも共有したい。そう思うのは自然なことだろう。そのうち、自分が気に入った他人の歌を、1冊の本に綴じて、知り合いに渡すという行為が流行り出した。歌好きの貴族たちの間では、知り合いが取りまとめたその和歌の本を読んで、「こいつセンスあるな」とか「こいつの好きな歌全部ダサいな」とか言って、共感も反感もして楽しんでいた。もしその本の和歌が自分の好みと近いものだった場合は、より仲を深めるきっかけにもなったそうだ。

 この、自分の好きな歌を他の人に見せるという行為だが、これを読んでる方々は何か気が付かないだろうか。そう、お察しの通り、Apple MusicやSpotifyなどの、プレイリストそのものである。
 自分の好きな曲を他の人に見てもらったりして、「俺はこんな曲も知ってるんだぜ」とか、「この曲がすごく良いってことを共有したい」っていう気持ちでプレイリストを公開し、友達などと共感し合って、音楽への理解と絆を深めていく。自分のパーソナリティを誰かに伝えるツールの一つ。それがプレイリストだ。

 また、プレイリストには、好きな曲以外に「ドライブの時に聴く曲」とか「雨の日に聴く曲」などといった、シーンに合わせたプレイリストも存在するが、驚くことにこの私撰和歌集においてもそれは全く同じで、貴族によっては自分の好きな曲を集めたもの以外に、「悲しき時に詠む歌」「情愛の歌」などといった、シーンごとの歌の本を作成した者もいたそうだ。
 ちなみに、こういった本は、「私撰和歌集」と呼ばれている。これは恐らく、万葉集や古今和歌集などの、当時の天皇が編纂させた公的な和歌集を「勅撰和歌集」と呼ぶことの対比なのだろう。

 古来より人間は集落を作り、その中で生き抜くためにコミュニケーションを覚えた。誰かと共生しなければ衣食住を調達できず、文字通り生きていけないからだ。そんなコミュニケーションが時代を経て連綿と継承されてきている。私撰和歌集からカセットテープ、MD。そしてサブスクのプレイリストと、その形を変えながらも、人間の「誰かと共有したい」という根本は今も昔も変わることがない本能なのだろう。


 この話はマジで俺が考えた作り話なんだけど、検証とか一切してないから、もしかしたらマジかもしんない。どなたか鎌倉時代または和歌に自信ニキがいらっしゃったら名乗り出てください。

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