あのとき俺は確かに峯田を超えていた

10年以上前、大学時代。僕は大学の同期とバンドを組み、神戸で活動していた。そのバンドでもボーカルを務め、作詞と一部作曲(基本的にスタジオのセッションで曲を作るバンドだった)も行っていた。
当時の僕は、とにかくライブでインパクトを残し、あの頃憧れた数々のスターのようにステージ上で暴れることに情熱を燃やしていた。どうすればあのようにかっこよくライブが出来るだろう。そんなことを考えながら迎えたバンド初ライブの日は今でも良く覚えている。
自分で作った曲を人前で演奏することが初めてだった19歳の僕は、前日の夜から眠れなかった。とにかくかっこよくやりたい、ウケたいみたいな気持ちでいっぱいだった。ほぼほぼ一睡もせずに迎えた翌日、自分たちの出番の直前まで、タバコ臭いライブハウスでレッドブルを大量に飲みながら悶々としていた。
そして、「俺は今からこいつらをボコボコにする」「こいつらが俺たちよりしょうもないということを見せてやる」という不遜な企みを持ちながら、そんなにかっこよくもない記憶にも残っていない対バンの演奏をぼーっと見ていた。
いよいよ自分の出番が近づいてきた時、誰もやったことがないであろうライブパフォーマンスを思いついた。一筋の閃光が頭の中を駆け巡った。閃光は僕の心臓に集中したのか、鼓動が速くなり手足は冷たくなっていく感覚に陥った。
早速ガムテープを買いに行き、ライブハウスの控え室でおもむろにズボンとパンツを脱ぐと、靴下を股間にあてがい、ガムテープで固定した。
それを見て笑っているメンバーに対し、
「今日はこれでいく」
と宣言し、
「今日は下半身これで、上半身も脱いだ状態で出ていく。」
と続けた。
「ライブ中そのままやるん?」
「いや、1曲終わるごとに服を着ていくことにする」
意図しない回答が来たのでメンバーは爆笑していた。いける。俺の中でその確信があった。

このような経緯で、1曲ごとに服を着ていくというライブパフォーマンスが定着し(俺たちの中で)、そのパフォーマンスに合わせて作る曲も下ネタの方向に走っていった。
当時童貞だった僕は、童貞の危機を救うヒーロー、超級機械兵士オッパイモミタイガーという自作のヒーローを讃える曲を作り、ライブを見たお客さんの賞賛を得ることに成功していた。
その時僕は思った。俺はいま峯田よりも本物だと。
峯田の音楽がどうとかそういう話ではない。銀杏の峯田は童貞に寄り添った素晴らしい曲たちで僕たちの心を掴んで離さなかったが、その曲を作り、歌っているあいつ自身は非童貞だ。だから、本当の意味で童貞に寄り添った曲を作れるのは俺の方なのだ。大金持ちが道楽で貧困層に施しているのが銀杏だ。スラム街で飢餓に苦しむ民衆の中で立ち上がるのが俺だ。だから俺は本物なのだ!!飢えたことなんかないくせに、そう思いながらライブをしていた。

銀杏が本物に決まってるだろ

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