挑戦することは階段をのぼっていくこと。
こんにちは、ものぐさ和裁師です^^
今日は少し畑の話を。
写真は私が育てているスイカの赤ちゃんです。
昨年に初めて栽培に挑戦し、一つの苗によって七つの立派なスイカを収穫する事ができました。
ですので引き続き栽培で、今年は二苗に挑戦です。
スイカは水を嫌うので植え付け時期を間違えると梅雨の雨によっておじゃんになることも。
実は今年の苗の一つは新たに買い直したものなのです(T_T)
五月下旬に続いた雨のせいか植え付けに失敗した様です。
この事から来年は苗の購入時期をしっかりと見計らってから栽培しようと決意しました。
初めてスイカに挑戦してみようと考えたきっかけは、うちの畑で年中耕作し作物を作り続けていた叔父さんの影響です。
実は叔父さんは約2年ほど前から体調を崩しており、昨年の秋に亡くなってしまいました。
どんなに自分の体調が悪くても『畑!畑!』とまず1番に心配することがいつも畑なのです。
末期癌で入院し、病院の先生に無理を言って一時退院した時も畑の事ばかり。
身体はフラフラで転んでしまい、血だらけで『絆創膏をくれ』と家に来たときも頭の中は畑の事でいっぱい。
自分が死ぬその直前まで畑仕事をして作物を愛していたんです。
まさに叔父さんにとって畑の作物は『我が子』そのものでした。
側から見る人にとってはその執念を煙たがっていましたが、私にはこれこそが生きるということなんだとしか思えませんでした。
自分の口に入れる食べ物を自ら育てる事への責任も立派な子育てだと深く思いました。
植物の生きる力に感動する。
花が咲いて実になり、また種から育てること。時には間引きをしてでも、強い丈夫で栄養のある子を生かしていくこと。それをさらに口に入れて自らの栄養源としていくこと。
そんな叔父さんの背中を見て、ここで途絶えさせるわけにはいかない!と感じたのです。
叔父さんの後継は私が担います。
いや、正直そこまでの気持ちはない。
更に言えば年中毎年続けていく自信もない。
だけど私に出来る事があればやろう。畑が駄目になってしまわない様に出来るだけ使い続けよう。
と、家族は誰も畑仕事が出来ないので、嫁の立場で偉そうに畑を自由に使っています(笑)
スイカ栽培に挑戦する前。
『私にスイカなんて育てられるだろうか?無理じゃない?スイカってあの大きくて赤くて甘いスイカだよ?自信なんて全くない!』
とハラハラドキドキの気持ちでいっぱいでしたが挑戦してみた結果、あっけなく出来たのだ。
その続きで年中で作業の多い苺栽培にも挑戦してしている。
『あんた若いのに仕事もあるんやろう?畑仕事しようるん。偉いねぇ』と周りの方は声を掛けてくださいます(^_^;)
偉いとかすごいとかじゃなくて、ここから得られることが沢山あるうえに、叔父さんの背中を見ていると、そこでブツっ!と幕を閉じたように畑を無かったことの様にできないだけなのだ。
最初は無理。できない。と端的に感じたことも。始めてみればできることもある。自分の手で挑戦したからわかることもある。
そして、2年目の今年は昨年の様な不安の気持ちは殆どない。
それは挑戦という『階段』を一段登って初心者の頃に見た世界とは、違う世界が広がっているからだ。
和裁もこれと同じ。
自分のやりたかったこと、挑戦してしたかったことを一歩ずつ進めてみる。
すると世界が変わる。分からなかったことが、一つずつ分かるようになる。
そのことが誰かを幸せにするかもしれない。何かの役に立つかもしれない。
自分の為だけに行っているように見えることでも実はそうでもないかもしれない。
挑戦はいつでもどこにいてもできる。
自分を諦めないで、畑も仕事も前向きに進めていこうと思います。
以上ざっくり書きました🙏
ものぐさ和裁士でした🪡
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?