大隈杯原稿

お疲れ様です。第7弁士です。
いや~。楽しかったですねえ。大隈杯。
今回の弁論は初めて怒りを原動力に書いたものだったんですが、本当に作成が楽しかったですねえ。
今まで二回出てて、今回が三回目だったんですけど、一番出来のいいものを見せれました。
まあ、それでも入賞はできなかったんですけどね。苦笑。
やっぱり聴衆の大半がそれでいいと思っているテーマは難しい。
僕がそうだと思っている。だから、わかるはずだ。
という、えらく単純な思考回路は褒められたものじゃない。
もっと人権とか、そういうアプローチの方法があったはずなのに、法律面でのアプローチだけになってしまったのは良くなかったかな。
でもね。反対意見をそこまで抱いてなかった聴衆に疑問の種を残せたのは、今回の良かった点と信じたい。
説得は難しいけど、みんなが違うことを考えていることを説得できたら、すごいことだと思う。
そんなすごい弁士になりたいなあ。

ということで、ここから先は本番用原稿を載せます!
このテーマはいろいろな人に知ってもらいたいので公開しました。
どうぞお読みください。


演題「いけん」

2022年 7月 10日 土曜日。

 

この日何があったか覚えているでしょうか?

 

はい、

第26回参議院議員通常選挙ですねー!

おそらく、この弁論をお聞きの皆さんの

多くは、実際に投票に行かれたのではないかと思います。

選挙に行ける。このことはついつい当たり前だと思ってしまいます。

ですが、選挙権を得るには、先人たちの血のにじむような努力がありました。

日本の選挙の歴史は1890年の衆議院議員選挙から始まりました。

その後、普通選挙、平等選挙、秘密投票、直接選挙が実現し、

ここにいる18歳以上の方全員に、

選挙権が認められました。

ほんと。良かったですねー。

先人たちに感謝しなくてはなりません。

 

ん。ちょっとまってください。

ここにいる18歳以上の方には、選挙権があるんですよね。

ここにいない18歳以上の方も全員に選挙権があるんでしたっけ。

 

この国には、

選挙の日に投票所にいけない人たち、

行かせてくれとも言えない人たちがいます。

皆さん。誰かを忘れてはいませんか。

誰かから目をそむけてはいませんか。

私たちは選挙権を、

投票する権利を手に入れました。

しかし、未だに権利のない人達がいます。

しかも、ここにいる皆さんが、

いつその立場になるのかもわからないのです。

 

 

だからこそ今日、

皆さんが忘れている彼らのために、

罪を犯した者たちのために訴えます。

本弁論の目的は「受刑者に選挙権を、投票する権利を認めること」であります。

 

さて、この問題。

聴衆の皆さんは、

こう思われるのではないでしょうか。

「いや、知らねえよ。どうだっていいよ。そんなこと。」

まあ、たしかに。

我々は18歳以上になれば選挙権が保障されますし。

こんな問題知らなくたっていいのかも

知れません。

実は、かくいう私も、ほんのすこし前まで

知りませんでした。

知ったきっかけは、今年8月にTwitterで見かけた、こんなニュース記事からです。

受刑者に選挙権を認めないのは「違憲」

長野刑務所から男性提訴。

東京地裁に対して、慰謝料3万円と、

選挙権を認めないことは違憲であるという確認を求めているこの訴訟。

更に記事を読み進めると、同様に受刑者の選挙権を争った裁判がありました。

しかも、2013年には大阪高裁により違憲判決が出たのに、

2017年には広島高裁で、合憲判決が出ていたのです。

違憲と合憲。この2つの判決を分けたのは何なのか。

話は、2005年にまで遡ります。

 

この年、在外国民の選挙制限をめぐる

最高裁判決が出ました。

住民票登録がされていないことを理由に彼らの権利を制限することは不当である。

最高裁はその判断基準をこのように示しました。

 

 

「自ら選挙の公正を害する行為をした者等の選挙権について一定の制限をすることは別として,国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されず,国民の選挙権又はその行使を制限するためには,そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならない」。

この「やむを得ないと認められる事由がなければならない」という枠組みが、

採用されたのが2013年大阪高裁による判決。

採用されなかったのが2017年広島高裁による判決なのです。

 2013年の大阪高裁で勝ち取った違憲判決。

しかし、受刑者の選挙権を制限している 公職選挙法は一切改正されませんでした。

国会が必要な立法措置を怠ったためです。

 

そうこうしているうちに、2017年、

広島にて、合憲判決が出てしまったのです。

しかし、この広島高裁の判決は大きな

疑問点を残すものでした。

 

 

それは、

「原告が裁判中に刑期をおえ出所し、現在では選挙権は制限されていない。

そのため、原告の権利に現在不安や危険はなく、即時確定の利益がない。」

というものでした。

 

原告が裁判中に受刑者から出所者になった理由はなんでしょうか。

それは裁判が長引いたからではないでしょうか。

裁判所のせいで、即時確定の利益が、

主張できる立場が変わってしまったにも

関わらず、こんな判決を出している。

このような広島判決には、明らかに問題があります。

こうして、2017年、受刑者側は敗訴しました。

 

ここまでの流れを整理してみましょう。

2013年では大阪高裁にて違憲判決を

勝ち取るも、公職選挙法は改正されませんでした。

その後2017年では疑問点を残したまま、広島高裁にて合憲判決が出てしまいました。

そして2022年現在、先に述べた

8月1日長野刑務所からの訴訟に

繋がっています。

この訴訟の中で特に重要な証拠を紹介します。

 

皆さんは

日本国憲法の改正手続に関する法律、

通称国民投票法をご存知でしょうか。

実はこの国民投票法では、

受刑者の投票権を制限して、

いないのです。

この点について国はこのように述べています。

 

 

 

「国の形をまさに決めるこの憲法改正に係る国民投票におきましては、国政選挙以上に幅広い国民の参加が望まれるということ、そしてまた、そうした投票は頻繁にまた定期的に行われるとは当然考えられないわけでありますから、たまたまその時期に公民権停止で参加ができない、これもいかがなものかなというふうに考えるわけであります。」

しかし、国民投票も選挙も同じ投票活動です。

確かに憲法改正は重要です。

ですが!

選挙だって重要だとは思いませんか!?

国民投票だけ認め、選挙権を認めないことは理にかなっているのでしょうか?

 

受刑者の選挙権を認めない。

これは重大な憲法違反です。

憲法15条の

「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」

という規定にガッツリ違反しています。

公職選挙法は改正するべきなのです。

 

 

 

 

そう、公職選挙法。

そういえば、

なんでこんなおかしな規定が、

公職選挙法の中で、放置され続けているのでしょうか?

行政のせいでしょうか。

立法のせいでしょうか。

それともまさか司法のせいでしょうか。

その答えはどれも正確ではありません。

全てのはじまりは今から72年前。

1950年。

公職選挙法の成立当時にあったのです。

 

公職選挙法ができる前。

我が国では大日本帝国憲法下で選挙に関する法律が規定されていました。

それが、衆議院議員選挙法と

参議院議員選挙法、そして

地方公共団体における選挙の規定です。

公職選挙法はこれらの法律を統一統合し整備してできたものです。

お気づきでしょうか。

つまり、公職選挙法は

1947年に制定された日本国憲法

ではなく、それ以前の帝国憲法下の法律をまとめたものだったのです。

現行憲法の下ゼロから作ったわけではありません。

だから、帝国憲法にあった、受刑者の

選挙権を制限する、という規定が、残ったままなのです。

そのせいで、現行憲法に沿わない規定が存在しているのです。

そして、制定以降、先にあげた判決以外には目ぼしい議論がされてきていません。

大阪高裁で勝ち取った判決が、

無惨にも放置され続けたのは、なぜでしょうか?

この問題について、国民間で語られていないからではないでしょうか。

 2020年に日本弁護士連合会が受刑者の選挙権に関する意見書を提出した際、

総務省に突っぱねられた理由も、

「今後、各党各会派において議論があれば、それを注視してまいります。」でありました。

この問題が語られないのはなぜでしょうか。

他人事だと切り捨ててしまうのはなぜでしょうか。

受刑者であろうと、同じ日本国民です。

同じ社会を構成する人間です。

本当に、他人事として終わらせていいのでしょうか。

 

私はこのままではおかしいと思います。

旧態依然の公職選挙法は変えるべきです。

 だから私は、

ここで2点の政策を提案します!

第一に受刑者の選挙権を規定する

公職選挙法第11条1項2号3号を

削除することです!

これにより、現状の不条理を解消するのです。

 

そして第二に、

受刑者に、不在者投票制度を認めることであります。

 不在者投票制度とは、特定の施設に滞在している際に、その施設内で投票することのできる制度のことです。

現行の法律では、この特定の施設に

刑事施設、少年院なども含まれています。

ここで簡単に現行の制度の流れを説明します。

刑事施設の収容者らは、

まずはじめに、住民票が登録されている

市町村の選挙管理委員長に対して宣誓書を提出します。

宣誓書の審査が終わると、投票用紙や

不在者投票証明書が送られます。

その後、投票用紙を施設長に提出し、

点検や立会人の署名等がされます。

最後に、投票用紙を選挙管理委員会に

提出すれば投票の完了です。

この、すでにある仕組みに、受刑者も

含ませる。今の理不尽な、例外をなくす。

たったそれだけのことが、私の提案です。

わずかな違いですが、日本の選挙を

大きく前へ進めるための、大事な一歩です。

 

なぜ「たったそれだけのこと」なのに、これまで出来なかったのでしょうか。

訴えた人がいた。裁判があった。

でもできていない。

時代錯誤な法律なのに、

問題提起されているのに、

ずっとほったらかしのまま。

なぜ、この「違い」は「違い」のままにされているのでしょう、

誰がこの「違い」を、守ろうとしているのでしょう。

 

私は先ほどの裁判を調べているときに、

記事が載っていたニュースサイトに、

こんなコメントがあるのを見つけました。

「そもそも服役中のやからに完全な人権を認めるのは間違っている。最小限まで制限されて然るべきでは?何せ犯罪を

犯して居なければ刑務所には居ない筈ですしね。」

「刑務所自体が憲法違反とか

言い出すんじゃないか? こうなったら

犯罪者は国籍剥奪するしかないだろ」

 

罪を犯した人間はとにかく厳しく罰するべきだ。

悪いやつはいくらでも痛めつけてやっても構わない。

感情的に物事を考えれば、受刑者から

選挙権は剥奪するべき、そう思って当然なのでしょう。

刑務所の中にいる人間は全く違う世界に生きている人間だ。

我々の生活にはなんの関係もない。

犯罪者は違う生き物だ。

社会の一員?そんなわけないだろ。

あいつらは日本国民ではない。

そう思うのが当たり前なのでしょう。

もしそうだとしても、そう思うのが当たり前なのだとしても、私はここで、違うと言いたい。

彼らだって、この国に住んでいる同じ人間なんです。

同じ憲法によって守られている社会の

一員なんです。

 

私がこのような考えを抱くようになった理由の一つは、

受刑者の方と関わるボランティアをしたことです。

彼らが望む本の注文を手伝うというボランティアでした。

流行りの漫画や趣味の本、教科書などを求める彼らをみて、私は思いました。

彼らと僕らを隔てるものって、

一体なんだろう。

塀の中にいる人。外にいる人。

全く違う世界で生きているように思える、

彼らと僕ら。

その差は、何であるべきだろう。

 

先ほどの大阪の裁判の、道路交通法で

捕まった被告の問いが、今、選挙制度に大きく横たわっています。

「自分は判決で刑務作業を命じられただけなのに,なぜ選挙権まで剥奪されなければならないのか」

彼らに認めない権利を、

感情で決めていませんか。

 

選挙に行けん。

これは違憲。

という僕の意見でした。

 

ご清聴ありがとうございました。


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