アクトオブキリングの感想
先月、カンボジアでコロナになり隔離されていたときにアクトオブキリングを観た。
概要
インドネシアでは過去に共産主義の大量虐殺があり、その事実は明るみに出ていない。また、その実行者は現在罰せられることなく平穏に暮らしている。この映画は虐殺の実行者に当時のことを映画にしてもらうことを目的とした、インタビュー形式のドキュメンタリー映画である。
感想
この映画の中で、虐殺実行者たちが映画を作っていたので、完成された映画を観れるのかと思ってワクワクしていたが観せてはくれなかった。なんやねんとなる。作った映画は誰に観られたのかなぁ、家族とかかな。
パンチャシラ軍の集会がすごく野蛮にみえた。
みんなで「パーン!!チャー!シラーー!!↑ウォォォォ」と叫ぶのが理性がないかんじで楽しい。一致団結の要について考えさせられる。
主人公のプレマンに虐殺時のことについてインタビューする際、陽気にならないとおかしくなるよと言って、軽く歌いおどるシーンがあるのだが、少し共感してしまう。資本主義の社会では、基本みんなそうなんじゃないかなと思う。
思っただけ。
カンボジアと絡めた感想
カンボジアでは4-50年くらい前に、共産主義者によって大量虐殺があったようである。
ポルポト率いる彼らは、古き良きカンボジアを守るため、国民の殆どを農民として強制移住、強制労働させたり、医者や教師といった人やメガネをかけた人など知識人と見なせる人は文明発展の可能性を握ると睨み殺したようだ。
また、当時政権を握っていた幹部達は裁判にかけられたものの、その罪は軽かったり、地方の指導者はかつて裁いた人達と農村で暮らしていたりする。
カンボジアでは40年前の記憶を持つ人が沢山いる。カンボジアで働く保健師の方によると、彼らはよく笑うし明るいが本音を話してくれないとのこと。他所者となると尚更である。
今回アクトオブキリングをカンボジアで観て思ったことは、インドネシアの社会は沢山の人の死の上に築かれているということである。そしてカンボジアもそうである。(またカンボジアの話になるが、現在のカンボジアは、中国の資本が流入し国が中国化している。知識人が沢山殺されたことはその原因の一つではないか。)
他の国はどのように社会をつくったのだろうかと考えてしまう。どのようなものを基礎としてそれらを築いたのだろうか。案外社会を作る上で血は流れていたりするのかもなと、のうのうと生きてきた自分の足元の汚さに気付かされる。
加害者側の罪悪感、犠牲者側の恐怖心、両者の傷の呪いが解ける頃にこの社会は楽園となるのだろうか。
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