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無駄な時間

「人生に無駄な時間などない。」

自分の知識不足で申し訳ないが、もしかすると誰かの格言か教えなのかもしれないこのフレーズは誰もが一度は見聞きした事があると思う。そして自分もこのフレーズが好きだし全くもってその通りであると思っている。しかしその意味合いは過去と現在ではちょっとずれが生じているように思う。

昔は何か行動をしようと思い立ってもその過程には様々なムダがあったがそのムダな行動や思考にも意味がある、そしてその行動や思考にこそ人生における気付きやひらめきがあるのだと自分に言い聞かせていたように思う。

それが現在はと言うと、インターネットとそのデバイスの普及によりいつでもどこでも事前に調べて正確に行動し、いちいちポケットから小銭を出して支払う必要もない。思い立ったらすぐに正確に行動や買い物や調べ事が可能となる。まさしくムダな時間を省く事が誰でも容易に出来る時代となった。そう、人生に無駄な時間など存在しないのだ。

もちろん過去と現在どちらが正しいかと言う事に関して明言出来ないしどちらも正論だと思う。ただ極個人的な観点から言うと、道に迷ったからこそ自分のお気に入りの場所を見つけたり、何気なく入ったレコード屋でその後の人生を左右するようないい音楽に出会ったりと、過去のムダな時間の方がロマンを感じるし、昼からビールを飲んでいても罪悪感を感じない理由にもなる。そんな回り道的な時の流れが自分は好きだ。

ある日曜日の午前中、喫茶店でコーヒーを飲みつつムダな時間を満喫しながらそんな事を考える。そして思い立ったらすぐにスマホでこの記事を書く。自分は過去と現在のハイブリッドな人生の無駄な時間を過ごしている。



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