鉄道唱歌、あと数年早ければ

鉄道唱歌は1900年に発表され、120年以上たった現在でも多くの人に親しまれている。しかし、当時はまだ日本に初めて鉄道が開通して30年も経っておらず、鉄道網は発展途上であった。例えば、まだ現在の山陽本線(当時は山陽鉄道という私鉄の運営)は全線開通しておらず、山口県の三田尻(現在の防府)止まりであった。三田尻まで開通したのは1898年のことで、1900年の秋には防府から徳山まで延伸、翌年には下関迄開通しているので、鉄道唱歌の歌詞通りに旅行できた期間は非常に短い。もしあと5年早ければ、まだ山陽鉄道は広島止まりであった。鹿児島本線も鉄道唱歌では八代迄歌われているが、あと5年早ければ松橋止まりだった。極めつけは東海道編で「国府津降るれば電車あり」と歌われていることである。ここから1900年3月21日の小田原電気鉄道開通以降のことと分かり、東北本線の福島で「米沢行きの鉄道は」と歌われていることから同年4月21日の奥羽本線赤湯延伸前のことと分かる。ゆえに、当時の鉄道の速度を考えると鉄道唱歌の歌詞の順番に旅行した場合、利根川大橋の部分で出て来る「思えば今日は日曜か」の日曜とは1900年4月1日、8日、15日のいずれかとしか考えられないのである。ここまで絞り込めるとは我ながら驚きだ。

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