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生きるって

それぞれの立場にならないと本当の意味では分からないのかもしれない

お義兄さんから夫に電話があり、夫に取り次ぐ際、私に病気のことを聞いてきた。

夫から私が病気と聞いた様子だった。

私は病名を明かさなかったが、癌と分かっていたようなので「早期なので」と伝えた。それを聞いたお義兄さんは知人の話をしてくれて、「今の癌は早期なら大丈夫。」と言った。

励ましてくれたのだろう。

しかし、癌の種類や個人差によって症状が異なることを考えると、簡単に「大丈夫」と言われるのは辛かった。

また同じ頃、お義母さんも癌が発覚しており、お義母さんは余命を宣言されていた。

私とは違う種類の癌で、お義母さんはとても進行していた。

色々な思いから出た言葉だったのだろう。

お義母さんは1クール抗がん剤治療した後、治療を拒んでいるという。治療が辛く苦しかったのだろう。「痛いのや辛いのは嫌。」と言うお義母さんの気持ちを考えると自然と涙が出た。私でさえも辛いのに、高齢になってからの治療は辛過ぎる。

家族としては1日でも長生きして欲しいと望むのは当たり前。「治療をしないなんて、何を言っているのかね!」と言うお義兄さん。その気持ちも痛いほど分かった。

というのは実家の父が緊急入院した時に、延命治療について医師から問われたことがあったから。父は、延命治療こそはしなかったが、何度も手術をして、ほとんど入院生活だった。考え方を変えれば、これも延命治療の内になるのかもしれない。

コロナ禍で会うことさえも難しく、病院でやっと父に会えた時は、一言「悲しいね。」と言った。

その頃は意識がしっかりしていた。父の気持ちを思うと私も悲しかった。

生きるって

ただ生きてるだけになるのは辛いはず。

コロナ禍だったから家族や兄弟になかなか会えず、余計に辛かったのかもしれない。

色んな感情が混ざり、とても苦しくなった。

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