対戦格闘ゲームの『コマンド・コンボ不要論』について考える。


9C・C・2+AC・A・A・6・3・2・1・4・6+A・A・A・B・B・C・C・D・D・2・1・4+C


知らない人に説明すると、対戦格闘ゲームというのは、プレイヤーがお互いに自分の使うキャラクターを選び、一対一で殴り合って相手の体力を先にゼロにした方が勝ちという野蛮極まりないゲームジャンルである。

そして、今では事情も変わっている節もあるが対戦格闘ゲームというのは、まずキャラクターを思い通りに動かすところが難しい。

キャラクターはそれぞれ独自の技を持っているが、これを出すための入力が難しいのだ。
昔の格闘ゲームは特にコマンド入力が複雑なゲームが多い。

例として旧SNKよりリリースされた餓狼MOWの主人公ロックの奥義的な技『デッドリーレイヴ・ネオ』は、プレステのゲームコントローラーで言えば、

右・右下・下・左下・左・右+□→□・□・✕・✕・△・△・○・○・下・左下・左+△

※キャラが右向き時。左向き時はキー(レバー)入力が反転

といった入力を遅過ぎず早過ぎずタイミング良くかつ動き回る相手との戦いで、攻撃に怯んだ時や一瞬の隙を付いて成功させなければならない

最初に触れた時に僕は

「頭おかしーんじゃねーのか。できるわけねーだろこんなん」

とおもっていた。

一説によればこういった複雑なコマンド入力やシステムが初心者離れを起こし対戦格闘ゲームが衰退した要因のひとつであると見る向きもある。(スクロールシューティングと似たようなものだが、この辺の話は揉める)
メーカーも対策を考えたのか、ボタン連打で技や連続攻撃を出せるシステムなどを作ったりしている。

だが、かつて僕もそれだけで挫折しかけたコマンド入力であるが、難しいからこそ出せた時の喜びもまた存在していたと今ではおもう。

「すげーさすが超必殺技だ出すのむずかしーぜ!(I.Q)」

練習モードで説明書のコマンド表を見ながら何度も何度も繰り返し技を出した。懐かしい思い出だ。
ゲームタイトルにより入力受け付け時間や入力保持時間が異なるため、実際にいろいろやりながらコツを掴むしかない。

更に対戦格闘ゲームには『コンボ』という概念がある。
攻撃を次から次に絶え間なく出して相手をボコり続ける気分爽快なシステムである。
これは、作品タイトルにより依存度は異なるが、概ねダメージソースとなっているため、勝とうとおもうとほぼ義務教育レベルで必須履修科目である

対戦格闘ゲームは相手も動いて避けたりガードしたりするため、いかに少ないチャンスを逃さずダメージを多く与えるかが肝となる。

そして、コンボとは原則として食らっている相手が行動不能なのである。(無論途中で途切れる。体力満タンから倒せるのは即死コンボ、ハメといわれ批判されたりする)
こちらがミスらない限り、ダメージを与え続けることができる。

そのため、ワンチャンスからのコンボは勝つ確率を上げるために必須なのである。

新しいキャラクターを練習する時は、まず最大ダメージコンボを探すのが楽しみのひとつだったりする。

何種類もあるキャラクター毎の技を出せるようになったら、今度はそれを連続して出していく練習になる。

どの技から技に繋がるか、調べる必要がある。
コンボとは攻撃で怯んで動けない相手に次々と攻撃を当てることなので、遅いと相手が立ち直ってガードなり反撃なりされてしまう。

更に特定の状況(相手との間合いや浮き状態、技毎の隙など)により、繋がるかどうか変わってくる。

ありとあらゆる要素に対する『知識』、あらゆる状況で自在にキャラクターを動かす『技術』、リアルタイムで目まぐるしく変化する駆け引きを含めた立ち回りの『経験』が高度なレベルで求められるハードルの高さが『対戦格闘ゲーム』なのである。

リアルタイムで変化する対戦中に、瞬間瞬間で判断し、技を選択、実行する。

知り合いなので勝手に張り付けました。
フォロワーさんに、対戦格闘ゲームの魅力や面白さをまとめている人がいる。
僕などよりよっぽど分かりやすい記事なので、興味あるかたはぜひ。
別記事の女の子が対戦してるヘッダーかわいいですねぐへへ。

格ゲーというのは、ハードルの高さがデメリットであり、二律背反のメリットでもある
ガンダムVSシリーズやスマブラなどの簡単操作で直感的に遊べるタイプとは違う性質を有する。(これらは操作はシンプルでも使いこなすのは難しいのは同じ)

もちろん、昨今の簡単操作モードや新ジャンルなども新しいカタチとして大切なことだ。
間口を広げ、プレイヤー人口を増やすことは新作ゲームの開発、界隈発展のために必要不可欠である。

だが、ちまたで衰退論や不要論で挙げられがちな操作やコンボによるハードルの高さは、単純に否定される悪ではない。(まあ僕も記事でコンボ否定的に書いてるけど)

対戦ゲームの面白さの本質を心理戦、読み合いとするのは、たしかに正しい。
が、それだけがすべてでもない。

ロボット対戦アクションの『アーマード・コア』シリーズなどに代表されるように、初めは上手く動かせなかったけど、すこしずつ慣れ、やがて自分の手足のように動かせるようになった時の感動はたしかに存在する

現実でも多くの人が自転車に補助輪なしで乗れるようになるまで、苦労したとおもうが、乗れた時の嬉しさもあったはずだ。
「(荷台の)手離しちゃダメだよ離しちゃダメ!」「離してない離してない(離している)」
最初から思い通りに動かせるなら、このよろこびも苦労した思い出も存在しない。


対戦格闘ゲームとは、アクションゲームでもある。
そして、アクションゲームには操作制御の上達による面白さがひとつの魅力としてある。それは、最初から思い通りに動かせると得られないよろこびである。
それ故にハードルが高く、それで挫折してしまうこともある。

スポーツにしろ芸術にしろ、技術の習得というのは容易なことではない(凡人には)。
だが、だからこそ。
乗り越えることでしか得られないよろこびが、そこにはある。

対戦格闘ゲームは、そういった面を内包していた。そして多くのプレイヤーが挫折し屍を築いていった。
だから、住み分けや多様性は受け入れつつも、伝統的な敷居の高さは滅ぶべきではないと一格ゲーマーとしておもうのである。


ホントは思い出の格ゲー『餓狼MOW』について書こうとおもったけど、脱線したのでまた今度。あーゆーおーけー? ばすたーうるふ!


※2024.6.30
初稿。

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