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格闘ゲームの面白さとは何か?

私は「格闘ゲーム」が好きである。

何故だろうか? 面白いからである。
何故面白いのだろうか?
普遍的な一般解を求める訳ではなく、自分の中の考えの整理として記事を書いてみたいと思った。
ここにあるのは1プレイヤーの単なる感想文である。

考えた結果の結論から書く。

私にとっての(主観的な)格闘ゲームの面白さとは、
【1】対戦のためのキャラクタが存在し、プレイヤーの操作によって幅広い種類の動作をする。
【2】自分のキャラの動きによって直接相手のキャラに影響を及ぼし、勝敗が決定する。
【3】ある状況からの一瞬の閃きによる選択
【4】試行錯誤のサイクルの短さ
である。


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以下詳細

【1】対戦のためのキャラクタが存在し、プレイヤーの操作によって幅広い種類の動作をする。

まずは見た目と操作感である。

デジタルゲーム全般にも通じる部分ではあるが、
キャラクタのビジュアル、技の種類、世界観など、創作の世界でキャラが自分が動かせるというだけで没入感がある。
プレイヤーである自分のボタン(その他デバイス)による操作で、キャラクタが動く。
自分の「動かしたい」という意思により、入力がなされ、レスポンスとして画面に表示される。嬉しい。
さらに様々な入力によって、内部で計算され、リアルタイムに動作する。それを見る。楽しい。
デジタルな『ゲーム』の基本的な面白さである。
カッコ良さ、可愛いさ、強さなど、キャラクタをダイレクトに体感できるのである。
ゲームというメディアの大きな特徴である『操作感』が好きなのだ。

それを踏まえて、ゲームのジャンルとしてのアクションゲームなども好きではあるが、「格闘ゲーム」は他ジャンルに比べて、最も「1人のキャラに対してここまで詳細な動作を設定する」のではないだろうか?
キャラクタを表現するのに多くのアイディアと手間とが費やされているのだ。
キャラデザイン、格闘ゲーム特有の必殺技、通常技、登場シーン、やられモーション、勝利ポーズ。バックボーンのストーリーなども。
登場するプレイアブルなキャラは全員作り込まれることが期待され、多彩な動作を設定され、発表される。
プレイヤーは自分のキャラを選び、様々な組み合わせで戦い、時に味方同士が戦う可能性があり、時には主人公ですら倒す。
そういった「格闘ゲームならでは」の表現が好きなのである。

【2】自分のキャラの動きによって直接相手のキャラに影響を及ぼし、勝敗が決定する。

次に「対戦する」ということ。
ルールとしての「相手を倒せば(行動不能)にすれば自分の勝ち」ということは非常にシンプルであり、明確であり、手っ取り早い。
「強くありたい」という気持ちは割と根源的な情動であり、
数々の作品において(「強さ」の定義は千差万別なれど)テーマとなっているかと思う。

さて、自分の動かすキャラクタが相手を倒し、強さを証明する! ……それは確かに気持ち良かろう。
その結末を目指し、マンガやアニメ、小説などではストーリーの流れで約束された勝利がある。(当然無いものもある)
だがここにきてゲームという環境では、早速矛盾が生じる。
自分で操作しなければならないので、当然失敗もあり得るのだ。そして失敗の方が圧倒的に多い。
1人用のゲームなら敗北の後でもコンティニューなり何なりしてクリアすれば結末へと到達できるが、
対人戦は果てしない修練の先に勝利があるか、もしくは勝利にたどり着かない。
だが、相手もプレイヤーの1人で既存のキャラを使う以上、自分にも勝利の可能性はある。(あるとされる)(あってくれ)
自分のキャラの性能を引き出し、素早い判断、正確な操作を行う。それらが甘美なる勝利へと導く。
そのためには練習が必要なのだ。大目的のための小目的、それはそれでまたゲーム内の小ゲームなのである。

「目標を立てて練習して、できなかったことができるようになる」、いわゆる成長である。
これは多くの人が楽しいと感じるほか、これまた多くの人が苦しいとも感じる所だとされる。
幸いにして自分はトレーニングモードやコンボトライアルなどは好きなので格闘ゲームを楽しめるのはありがたい。が、必須かと言われればどうかな、とも思う。
大きい目標として修練の先に得た勝利や、またはそれに至る小目標の達成にも得るものはあるし、さらにそこまでしっかりと取り組む前でも、ちょっとしたテクニックで上手くなった実感がある、くらいでもいいと思う。
自分にできることとできないことを踏まえ、「可能性を追求する」こと、これが繰り返し格闘ゲームを楽しむ性質なのだろう。

まとめると、「対戦すること」は「相手との直接の影響による強さの最短の証明」であり、それを繰り返すのは「成長と可能性の追求」だということになる。

【3】ある状況からの一瞬の閃きによる選択

おそらくこれが、自分の格闘ゲームへの一番大事な関心要素になる。
格闘ゲームの試合において、開幕時、劣勢時、優勢時、決着時、その他、いろいろな場面がある。
そのときに「できること」行動の多様さと、その選択が楽しさであると感じる。
場面に応じて相手を観察し、自分の記憶と知識から行動リストを展開し、最適な手を選ぶのである。

飛び込み、対空、牽制、突進、めくり、起き上がり、切り返し。
格闘ゲーム特有の行動だったり、そのタイトル固有のシステムだったり。
コンボであったり、判定の強さ(判定枠の大きさ)だったり、動きや見た目が好みの技だったり、
その「できること」を(事前にも、戦闘中にも)、調べる、考える、列挙するのは「面白さ」であると思う。
今は攻略サイトや動画が多いが、昔は攻略本を読むだけでも楽しかった。
必要な技や行動がある、思いつく、その発見が嬉しさにもなる。

「一瞬の」というところも大事である。
カードゲームや他アナログゲームでも、選択肢が多く悩ましい部分に楽しみを憶えることがあるが、
格闘ゲームはリアルタイムであり、フレーム単位での攻防である。展開が早いのだ。
展開が早いからこそ、追い詰められた脳がフル回転し、自分でも思ってなかった最善手が出ることもある。
慣れていないうちは「何が起きているかわからなかった」となりがちだが、
わかってくると情報の密度に快楽を感じるようになるのだ。
操作による対応、行動の選択、これらがうまく回ると、さらに選択の幅を広げたくなり、もっと楽しくなる。
ループし始めるのである。こうなるとやめられないのだ。

まぁ有限の中の選択による限界があるので、だんだんとあれもダメこれもダメな状況になってくると苦しくなることも多々ある。
正解不正解の100% or 0% ではなくて4:6とかほぼ五分の選択肢が多いといいんですけどね。

行動における自由度の高さがキャラとしてもプレイヤーとしても表現の多彩さになり、ゲーム全体としても深みが出ると思う。

【4】試行錯誤のサイクルの短さ

前述の「行動の選択」が失敗するときも多い。というか列挙した行動はおそらくほとんどが失敗する選択肢である。
(仕掛ける側が複数の選択肢に対応できる強い行動をせざるを得ないことも理由にあるが)

だが、1行動で0.何秒(数フレーム)、1試合で数十秒である。
ダメだった場合は他の手を検討するなり、そういう状況にならないようにするなり、対策がすぐに実践できる。
もっと言えば、相手によっては何なら1試合中に「さらにその対策」をしてくるのである。こうなると「対策の対策の対策の……」となる。
このサイクル短さ・早さは、他のゲーム(デジタル・アナログ)にも少ない格闘ゲームの大きな特徴であり、面白い所だと思う。

このサイクルの速さが、練習や上達の速度を大幅に早めているとも感じる。
見た知識をすぐに試せる、悪かったところをリプレイで見てすぐ直せる、これも格闘ゲームの面白い部分である。

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◆まとめ

結果として、「格闘ゲームだから面白い」のではなく、「面白いと感じる所が多いのが、たまたま格闘ゲームだった」みたいな感じだろうか。
またどれか1つ、ということでもなく「今の部分は◯%面白いし、別の部分で△%良いくらいかな」というふんわりした感想が連綿と続くような感覚もある。
好きなタイトルでも「ここは直してほしい」と感じる所は多いし、新しいタイトルがでれば「面白いところは何か」触って試したい。
また、ジャンルという枠にとらわれず、新しく面白いゲームが現れてもいいと思う。
いずれにしても格闘ゲームはまだまだプレイし続ける所存である。

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