あの頃のわたしと「重なり合う」瞬間。
小学生のころ、近所に「公衆電話」があった。
幼馴染とふたりで、登校班の集合場所へむかう途中、必ずその「公衆電話」の前をとおる。
わたしたちは、毎朝その電話ボックスのなかにふたりで入り、ランドセルをぶつけ合いながら、しゃがみこんで、探した。
使い古しのテレホンカードを。
平成7年くらいだとおもう。
今から、29年前。
当時、まだ黄緑色の「公衆電話」はそのへんで見かけることができたし、テレホンカードはまだ生きていた。
いや、今もあるんだとおもうけど。
たいてい、ボックス内の地面か荷物置き用の台の上に、ぺらりと一枚落ちている。
むらさきの花の写真だったり、雪のつもったどこかの山の写真だったり。
ときどき、かわいい絵柄のものもあって、「これは当たり!」と喜んだ。
それらは、「0」のところまですべて穴が空いていて、子どもながらに「もう使えないんだ」と理解していた。
でも、集めていた。
コレクションとして。
何枚かそれを拾って持ち帰っていると、父がちょうどいいカード入れを譲ってくれた。
差し込める透明のポケットがついた、アルバムみたいなノート。
茶色くて、地味な表紙だった。
そこに、拾ってきたテレホンカードを、一枚ずつ入れていった。
日に日にコレクションが増えていくのは、たまらない満足感があって、よくそれを幼馴染と玄関先で見せあっていた。
中には、新品同様の美しさだったり、使われていないカードも混ざっていて、「いつか困ったら使おうね」なんて、ふたりで約束を交わした。
そんないにしえの記憶がよみがえったのは、長男のひと言からだった。
散歩中、長男が「公衆電話」を見つけて言う。
「これって、どうやって使うの?」
そうだよね。
知らないよね。
っていうか、もはや「電話」にすら見えないよね。
わたしは、しどろもどろで「公衆電話」について教えた。
小銭を入れて使うとか、緊急用のボタンがあることとか。
そして、昔「テレホンカード」というのがあって、それを集めていたときのことを話した。
長男は、わたしの幼少期の話をわりと真剣に聞いてくれるので、「ふーん」という顔をしてうなずいてくれた。
◇◇◇
わたしが子どものころには、当たり前のようにあったのに、長男には「縁遠い」ものは、まだまだある。
そのひとつが、「切手」だ。
ばあばからの暑中見舞いに、返事を書こうという話になったとき、「切手」が話題にのぼった。
「切手って、何?切るの?」
そうか。
切手とか、ハガキとか、そういえば長男は、ほとんどちゃんと見たことがない。
わたしが小さいころは、毎年当たり前のように「年賀状」を出していたし、引っ越していった友達に向けて、封筒に切手を貼って、手紙を書いていたけど。
いま、わたしたちの住むこの家には、「ハガキ」も「切手」も、レターセットすらない。
せっかくの機会だ。
長男が書いた手紙を封筒にいれて、郵便局で「切手」を買うことにした。
「記念切手というのは何?」とか言うので、何かそういう特別な絵柄の切手はないかたずねてみたが、残念ながら置いていなかった。
長男が選んだ中途半端なサイズの封筒には、120円分の切手が必要だったのだが、「その値段の切手の柄は、一種類しかない」とお姉さんが言った。
「80円切手の十枚セットなら、そちらに乗り物柄のものがありますが‥」と、申し訳なさそうにお姉さんが続けた。
しかし、どう考えても切手を10枚も使いそうにないので、お礼を言って、遠慮した。
長男は、受け取った120円切手を、お姉さん見守りのもと、封筒にくっつけさせてもらった。
濡らして、ぺたり。
「なんで濡らすの?」
「シールじゃダメなの?」
いろいろ聞いてくるので適当に答えながら、郵便局をあとにする。
そしてそのまま、半端にデカい封筒を、入り口のポストに投函させた。
「これで、勝手に手紙が届くの?」
長男が、ふしぎそうな顔で言う。
いや、「勝手に」は、届かないです。
ワープする手紙を想像して、やんわり否定する。
郵便局の方が運んでくださることを説明してみたものの、あまりイメージがわかないようだった。
暑い暑い、夏の空の下。
郵便車に乗った息子の手紙が、遠い遠いばあばの家に届くのは何日後だろうね、と話しながら帰路についた。
届いたのは、4日後だった。
◇◇◇
わたしが子どもの頃の暮らしと、長男の暮らしとが重なり合う。
あの頃、わたしがやってもらったことを、今度はわたしがしてやる。
その瞬間が、好きだ。
「親」をやっているなあ、とおもう。
あのころの、アレもコレも全部、わが子に教えてやるためにしてきたことなんじゃないか、と錯覚する。
公衆電話でことも、手紙を書くことも。
そして、そういう「重なり合う」ものって、まだまだある気がする。
そんな瞬間を、大事にできる子育てがしたい。
いつもは、難しいかもしれないけど。