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どぶろくメンテナンス

 星座には太陽星座のほかに月星座がある、ということを、最近占い好きの友人から教えてもらった。なんでも太陽星座は表の性格、月星座は普段隠れている裏の性格を示すのだという。
 「真帆ちゃんもやってみなよ」と促されて自分の生年月日で調べてみると、太陽星座が射手座、月星座が双子座だった。射手座の性格は “好奇心旺盛” “飽きっぽい” “退屈なことが苦手” で、双子座の性格は “旅好きでお話し好き” “おおざっぱ” “移り気”。占いにありがちな「実は〇〇な側面も…」といったひねりもなく、表も裏も気分屋の好奇心狂い、というのが私の占い結果らしい。
 小学1年生の時、通知表の生活欄に「好奇心旺盛」「落ち着きがない」と書かれてから早15年、もうこの性格は変わらないのだろうと、常々思ってはいた。しかし、占星術でもそう示されると、もうそれはそういう星のもとに生まれた人間なのだ、と妙な納得感が生まれる。
 他にも、ホロスコープの読み方だの意味だのをを教えてもらい、すっかり占星術に興味を持った私が「私もできるようになりたいから何で勉強したか教えて!」というと、友人は「射手座だ!」とひっくり返って笑った。

 そんな私の性質は、仕事になるとさらに加速する。書類とファイルを山ほど広げて、しゃかしゃかと仕事をこなす。否、こなそうとする。決まったことを正確にこなすことが求められる仕事と、大ざっぱな私の相性は最悪で、何度注意されても「20024年」の書類を量産してしまう。私の職場での評価は、アイデアややる気は素晴らしいけれど、まずは事務仕事がミスなくできるようにね、だ。やりたいことや叶えたいことが両手いっぱいにあって、それなのにやるべきことがぜんぜんできなくて、それがどうにも悔しかった。
「今日、ノー残業デーだからほどほどにね」
 そういって上司が帰ってから20分後。タスクリストにはやらなければいけない仕事がずらりと並ぶ。請求書を処理して、見積もりの電話をして、資料を準備して。これは明日の朝上司に確認しなきゃ。でも、その繰り返しの先になりたい自分はいるのだろうか。
 なんのことはない、私はただ疲れていて、つい弱音がこぼれるのだ。そう頭ではわかっていても、自分がどんどん後ろ向きになるのを止められなかった。
 先ほどから挙動の怪しかったエクセルのシートが急に応答待ちになって、フリーズする。あ、今日ダメな日だ。観念した私は、くるくるしたままのパソコンをパタンと閉じた。

 でじま芳扇堂は、出島の裏にあるどぶろくの専門店だ。真っ白な暖簾をくぐると、6人ほどが座れる小さなカウンターがあり、女将さんがおまかせで自家製のどぶろくを提供してくれる。私は、一番手頃なお酒と肴3種類ずつのコースを頼むと、席にもたれた。
「3種類全部どぶろくにしますか?日本酒も混ぜられますよ」
 手ぬぐいと割烹着がよく似合う女将さんが微笑んで私に尋ねる。日本酒も捨てがたいけれど、今日はどぶろくの気分だ。発酵の酸味を身体が欲している。私が「全部どぶろくで」と伝えると、女将さんは「こちら新作なんですよ。」といってとろとろのどぶろくを注いでくれた。美濃焼のおちょこを両手で大事に持って、一口飲む。ひんやりした麹のつぶつぶが口の中ではじけて、しゅわしゅわと体に染み込んでいった。
 どぶろくの専門店。23の女のお気に入りのお店にしては渋すぎるだろうか。でも私は、この空間にいつも助けられている。早食い癖のある私は、くたくたに疲れるほど、失ったエネルギーを補給するかのように、たくさんご飯を食べてしまう。キンキンに冷えたレモンサワーを飲み干して、じゅわっとした餃子をかきこんで。そのわかりやすい幸せに救われる夜もたくさんあるのだけれど、食べ終わるとつい、まだやれるぞとファイティングポーズをとってしまう。
 でも、どぶろくを飲んでいるときは違う。数種類のどぶろくの微妙な味わいの違いを味わったり、舌先ではじける麹の粒々の感触を楽しんでいると、毛羽立った心の角がまるくなってくる。自分の焦りや強がりが、ゆるゆるとほどけていく。
 「どうぞ、瓜の粕漬けです。」
 ぽうっとした私の前に一つ目の肴が運ばれる。女将さんが修行していた酒蔵の麹を使っているという瓜の粕漬けは、独特のあまじょっぱい風味が噛むたびにあふれて、どぶろくの酸味とぴったり合う。美味しくてぱくっとたべてしまいそうなのを抑えながら、私はちびちびと肴をかじった。
 一時間ほどゆっくりとお酒を飲んで、お会計をし、ほろ酔いのまま家まで歩く。小鉢はほんの数口ずつなので、正直に言えば、ちょっとお腹がすく。けれど、その空腹感が心地いい。とろんとした眠気に浸かりながら、私は生き急ぎがちな自分のリズムを整えるためにどぶろくを飲むのかもしれない、と思った。


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